いつ殺されても良かった。
いつ死んでも良かった。
どうせ誰にも望まれぬ命であったからして。
けれどもしも叶うならば、誰かに確かに愛されたかった。
最期に「よくやった」と褒められたかった。
分かりやすく武功を立てれば名も顔も知らぬ誰かの目にも留まるやもしれなかった。
例えば、人類の敵である魔族を殺せたならば、どんなに賞賛されるだろうか。
***
――魔族というのは、人類の大敵だ。怨敵だ。天敵だ。
人の形を成しているだけの、人を喰う化け物。
人の声で鳴き、人の言葉を用い、人を欺く、こころなきもの。
その頭に戴く禍々しい角が、それを魔族たらしめる。
その口から零れる、実った試しのない甘美な言葉がそれを魔族たらしめる。
それが魔族ならば、目の前のノイエもそうであるはずなのに。
魔族のくせして、こんなに感情豊かで、相手を思いやる個体が居るなんて予想だにしなかった。生まれてくる種族を間違えたんじゃないのか。
ノイエにこころがないなんて嘘だ。
そうでなければ何日も自分を付きっきりで看病するなどするまい。あんな森深くにいる手負いの人間を手っ取り早く捕食するならば、看病などせずその場で喰ってしまえばよかったのだ。
ノイエにこころがないなんて嘘だ。
そうでなければあの日飛び起きたときに、わざわざ距離を空けてまで対話をしなかっただろう。場を和ませるためか「自分はスライムじゃない」とまで口走っていたが、そんな語彙を用いて欺こうとする魔族など聞いたこともない。おそらく根が間抜けなんだろう。狡猾が歩いているとまで呼称される種族でそんな間抜けさが許されるのか? 甚だ疑問だ。
ノイエにこころがないなんて嘘だ。
そうでなければ、不注意でかすり傷を負った自分に酷く狼狽して震える手で「手当をしよう、拠点へ戻ろう、そうしよう」などと提案すまい。ノイエの言動には――とりわけ言葉には、実感と確かな意味が込められている。感情を、体感をもって理解している。相手を尊重するという概念すらある。善悪を理解っている。むしろそうでなかった試しがない。いつだって、いつだってノイエは。
ノイエにこころがないなんて嘘だ。
ノイエのこころには、思想には、言葉には、血が通っている。
これこそが、ノイエとほかの魔族どもとの決定的な《違い》。この数ヶ月を過ごして自分が思い知ったことだ。
正直いつ魔族としての本性を見せて、自分を喰い殺しにかかってきてくれてもよかった。そのときは思う存分暴れて、ノイエのことを何がなんでも全力でぶっ殺すべく死ぬ気で挑めた。
けれどノイエは毛ほどもそんな素振りは見せない。
わざと怒らせるような真似をしたことがある。怒らせたら、衝動で自分を殺そうとするんじゃないかと思っていたからだ。目論見は外れて、ほとんどが笑って流されて終わった。唯一、食事を台無しにしようとしたときだけは冗談抜きに「存在ごと殺される」と思った。
ちなみに生命の危機という意味ではない。死ぬよりおそろしい目に遭うという意味だ。
とにかく、もう二度とノイエを食事関係で怒らせまいと誓った。魂に刻んだ。
(……食事のことで魔族に叱られる人間ってなんなんだろう)
こんなの、自分よりよっぽど善性に溢れて、まるで《人間》みたいだ。
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