「……わかった。千代子、あなたはどうしても呪術高専に行くというのね?」
「うん」
「意志はかたいんだな?」
「うん」
「そうか……、……ただなぁ、全寮制か……」
「あなた……せっかく千代子が自分で自分の進路を選んだんですよ、たしかにわたしだって寂しく思うけど……」
「わかってる、わかってるよぉ……、でも」
ズビンッ、と父が鼻をすする音を立てた。
「ぅう……、お父さんは寂しいな……!」
「お父さん……」
「だってすぐ気軽に会えなくなっちゃうんだろぉ……?! お父さんそんなの寂しくて泣いちゃう……もう泣いてる……」
「今泣くのは気が早いよ……」
ズビビ……、とまた鼻をすすったので今世の父にティッシュの箱をよこす。
「あ、ティッシュありがとう」
「はいはい。でも、昔と比べて気軽に連絡できる手段は増えたじゃないですか。ほら、『らいむ』とかいうので『家族らいむ』だって、つくったでしょう」
あんまり駄々をこねないでくださいよ、と言外に母が父を諭す。
「う〜……、そうだね、そうだよねえ……、らいむで話せるもんね……お父さんいい子なので我慢……、……アーッ、寂しい〜〜!」
いい年になって己を「いい子なので」と評価する父は、我が親ながらかわいらしい、と思う。なんだろうこの……相手が親なのに撫で回したくなるような絶妙なかわいらしさ……。必死に撫でたい自分と耐えたい自分がせめぎあっていた。
……なんとか、耐えきったけど。
*******
──────後日、晴天の下、わたしは夏油さんに連れられて“ある場所”へと赴いた。
「着いたよ」
「……ここが」
───────都立呪術高専。
山奥にあるとは聞いていたが、実際に来てみるとなるほど、確かに山奥。そして校舎その他の建造物を見るに、この時代の一般的なそれとは違って趣のある寺社のような造りをしている。独特な雰囲気を醸しだしているなあ、とのんきにそんなことを思った。むしろ、城周辺や城郭一帯のほうがイメージとして近い気がする。
「ずいぶん、広いんですねえ」
「戦闘訓練とか交流会とかもここでやるからね、それなりに大きいのさ」
「戦闘訓練に……交流会」
「本来私たちは呪霊とか呪いを相手取るからね。まあどっちも研鑽のためのものと思ってくれればいいよ」
「ふむむ」
「さ、こっちへおいで。ほかにも案内しよう」
「はい」
(マジで呪術高専広いな……)
(夏油さん基準なんだろうけど)必要なだけひと通り高専の中を見せてもらっていたら、気づいたときにはもうお昼だった。
道理で胃が空腹を訴えていると……。
ぐうぅ、とまたお腹がなった。
その音が聞こえていたのか夏油さんはくつくつ笑っている。
「悪いんだけどあと10分だけ待ってくれるかい? クラスメイトと顔合わせをしよう。それからソレを思う存分食べるといい」
“ソレ”というのは、わたしが母に持たされたお弁当のことだった。健啖家というか、燃費が悪いというか……まあ端的に言えば弩級の大食らいのわたしを案じて、母もいつもより張り切ってくれたらしい。胃袋と情緒と人間関係を心配して山盛り弁当作ってくれる母、ラブです。
「この先がグラウンドなんだ。今の時間なら、……あぁうん、今年の1年生が体術の訓練をしてる」
君の同級生になる子たちだね、と夏油さん。
どんな子たちなんだろう、とワクワクして夏油さんの背後から覗き込むようにしてグラウンドに視線を向けると、
「パンダが空中でライダーキックしてる……?!!」
唖然とした。
あれ? ここって地球にある日本国でしたよね??? なんで学校内にパンダが?????
同級生がパンダ? パンダなんで???
夏油さんの方を助けを求めるかのように見上げると、無言でニコニコとしている。
答えがもらえないので、恐る恐るもう一度グラウンドに目をやる、と……わあ。
「女の子が長物を目にも留まらぬ速さで振り回してる……中国雑技団みたいなアクロバティックさ……」
「すじこ?」
「すじこ??????」
だれ???????????
あとその語彙何??????
新出の暗号??????????
後ろに振り向くと、口元をネックウォーマーで隠した男の子がひとり。
「やあ棘、元気そうだね」
「しゃけ」
「しゃけ???????????」
だからその語彙なんなの?????????
混乱が駆け巡る中、未だくつくつ笑っている(……たぶん笑うのを堪えようとして失敗しているんだろう)夏油さんの紹介で不思議語彙ネックウォーマーくんのお名前が狗巻棘ということが判明した。呪言師という「言霊の力で戦う呪術師」の家系の血筋を引いているので、なるべく直接的な言葉の意味を拾わないよう敢えて語彙を絞っているらしい。なるほど、生きながらにして縛りゲーを選択せざるをえないのか……。わかった、納得。
それにしても、おにぎりの具で会話するとかとてもインパクト抜群ですごいね。ちなみに「しゃけ」が肯定で、「おかか」が否定、その他はニュアンスでとるしかないらしい。これは読解力が試される予感……ごくり。
タッタッタッ。
棘くんの謎に息を呑んでいると、足音が近づいてきた。
足音の主は、さっきまでグラウンドでライダーキックしていたパンダ(?)と中国雑技団みたいなアクロバティックお嬢さん。
各々軽ーく、自己紹介してくれた。
パンダ(?)は本当にパンダ、という名前らしい。本物のパンダではないけど、パンダと名乗っているそうだ。わたしの中でパンダがゲシュタルト崩壊しそうになってきたな……。
よろしくな、とシェイクハンドするときもふもふの毛並みが心地よかった。仲良くなったら是非ともブラッシングさせていただきたいレベル。
アクロバティックなお嬢さんは真希、というお名前なんだそうだ。キリッとしたいいお名前である。正しくは禅院真希だそうだが、自分の苗字が嫌いらしい。厳つい苗字だから何処かの名家なのかもしれない。
「真希チャンって呼んでもいい?」
「ああ」
性格がこざっぱりしててやさしいお嬢さんだな。どうやら複雑な御家事情があるようなのだが、初対面で首突っ込むことじゃないので暫くはノータッチでいこう。
あと、夏油さんと真希チャンは相性が悪いのかまともに会話しない。いやその、真希チャンのほうから声をかけてもまともに取り合わないか無視しているようなのだ。……なんでだろう。あれれ、と思ったけれど、これも今聞けるようなことじゃないようだったので様子見。
そしてこれ以上はわたしのお腹が限界だったので、夏油さんに訴えて教室でお弁当をもぐもぐすることにした。自分に与えられた学校机だけに収まらないお重の量だったため、真希チャンたちの机も一時的に借りる。ありがとう新たなる学友。
「……それ全部一人で食べれんのか?」
「ウン。でもいっぱいあるから、よかったら真希チャンたちもどうぞ」
「千代子は燃費が悪いんだな」
「ツナツナ」
「おにぎりもあるよー、ツナはないけど。塩昆布とゆかりと鮭フレークのと……あと焼きタラコ!」
「しゃけ!」
「棘くんもどうぞー」
「高菜!」
「パンダさんは何にする?」
「俺はそこのパンダ柄のおにぎり」
「え? ……あ、ほんとだ、お母さんったら遊び心満点で塩おにぎりのパンダちゃん作ったんだってメモにあるわ……なんてタイムリーな……はーい。で、真希チャンは?」
「じゃあ焼きタラコ」
「いいよぉ、はいどーぞ!」
机いっぱいにお重を並べて食べるお弁当は最高だった。
やっぱり、だれかと美味しく食べるご飯っていいな。
*******
食後のデザートにデラウェア(好物)をもぐもぐしていたら、急に教室のドアが開いた。バァン、なんて大仰な音は久しぶりに聞きましたわよ。
勢いよくドアを開けたのは、小脇に中高生(うーん、顔の感じからして中学生かな?)男子を抱えた長身男性だ。チャイニーズマフィアみたいな(※偏見)黒くて丸いサングラスを掛けた、銀髪の、黒ずくめのひと。体付きから推測するに、おそらく成人はとうに済ませているんだろうけど、まだまだ青年の域を出ないように見える。
「……?」
サングラスに隠れて瞳は見えないが、表情が何より雄弁で、焦りや驚きでいっぱいなのがわかった。
こんなひと知り合いにいたかなあ、と頭をひねるが近年の知り合いには少なくとも銀髪(……白髪?)の顔見知りなんて高齢者の皆さんくらいだし、と結論が出る。
となると、“今世”の知り合いじゃない。逆に言うと、今世“以前”の可能性がある。
(うーん、出会ったことがあるような、無いような……)
ひっかかる節はあるんだけどなあ。
ところで、その小脇に抱えたままの推定男子中学生はすごく見覚えがありますね。……そなた、わたしの親戚の伏黒恵ではないか?
あっちも私に気づいたらしく、「はァ?!」と驚いたふうである。そして銀髪の男性から離れようともがいているのだが、微動だにしない。
「……おい悟、いつまでそこで恵抱えて突っ立ってんだよ」
あと恵をとっとと離してやれ、と呆れ顔の真希チャン。
……、…………ん?
いま“悟”って言いました?
悟……くん───────って確か、“ちょっと前”に推定夢の中で何回かお話したちっちゃい男の子じゃなかったでしたっけね? その、ちょっと前って言っても産まれる前とかそういうスピリチュアルな方面のあれなんですけど。
時が過ぎるのは速いんですなあ……と思いを馳せそうになった次の瞬間。
「ぐっ」という呻き声と同時に人が床に落ちる音と、目の前が黒い衣服でいっぱいになる。「おい悟!」「恵、大丈夫か?」「昆布?」「……はい、大丈夫です」というやり取りを聴覚だけで認識しつつ、強く抱きしめられていることに気づいた。が、あまりの力強さに顔の向きを変えるのも一苦労。んぐぐ。あとデザートのデラウェア食べててそのままなので単純に口元を拭えていないし手も同じくなので、衣服に汁をつけないように必死だった。
「千代子…………!!!!!!!!」
わたしと昔から知り合いですって実感を湧かせてくるような切実な声。泣きそうな気配さえある。
そっかあ、あのときの子かあ。本当にそうなんだ。
……悟くん、大きくなったんだねえ。でも今抱きしめ返したくても手が果汁で汚れてるからできなくてごめんね。だから「なんで千代子は抱き締め返してくん゛ないの゛……!!!!!!!!」とか駄々こねないでね。
………………現在進行形でだだこねないで???
とりあえず場を収めるためにウエットティッシュを1枚貰って、その場でおててをキレイキレイ。
(流れ作業のように、だけど悟くんを抱きしめ返したから)やっと自分の要望が叶えられて悟くんはご機嫌。
真希チャンたちはドン引きで悟くんを見つめている。
「……悟、新入生に悟くん呼び強要するのはいくらなんでも……あと急に抱きつくのはどうかと思う」
「ついに悟も淫行教師の仲間入りか……ブタ箱でも元気でな」
「いつかやると思ってマシタ」
「おかか……」
「ちょっとちょっとー?」
えっと……この状況は、(悟くん的に)まずい……???
「おや悟、何してるんだい」
ここで夏油さん登場する?!!!!
夏油さん愉快犯なところあるってさっきまでに認識改めたからこのままだとまずい!!!! すごく面倒なことになる!!!!
だってほらもう見てよこの笑顔!!! 胡散臭笑顔!!!
絶対なにか企んでるよ、愉悦方面に楽しそうだもん!!!!
あらぬ誤解()がどんどん倍倍ゲームみたいに膨らんでいくのやめてください!!!!
(あーもぉ!!!!!!!!!!!)
この後(転生が云々とかの信じ難い部分には)めちゃくちゃフェイク入れながら誤解を解いた。
誤解は無事解けた、とだけ報告しておきます(作文)。
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