なにも知らないというか無防備すぎるというか、とにかくそんな日和のことを見かねたのか、フレンは、ピカチュウを休ませる目的も兼ねて宿屋で日和のぶんの部屋をとってくれたり、日和が(飛ばされてしまったばかりだから、この世界を全くと言っていいほど知らないとはいえ)ほぼ手ぶらで出歩いていたことについて懇懇と説教かましたりと、いろいろ世話を焼いてくれた。ちょっと、いやかなり子ども扱いじみたものを感じながら、日和はありがたくそれを享受した。こればっかりは、説教だって(本当は嫌だけど)日和のことを心配してくれてのことだし、そもそもこちらの常識をしらないので、知る機会にはちょうどよかった。
「あっ、でもお金……」
どうしよう。日和はこちらの通貨を知らないし、持っていない。ポケモンの世界へと落ちてきてしまったあのときと同じ、一文無しだ。
「大丈夫、気にしなくていいよ」
「でも……」
「本当に大丈夫なんだけどな……、でも君が気にしているなら、そうだな、出世払いで」
「……」
(出世するほどの職を持っていないから、実質無職なんだけどな。出世払いかあ……まぁ、要はツケ、ってことだよね、今は一銭も持ち合わせがないから、お言葉に甘えるしか……ないな。)
日和は無言で頷くしかなかった。
フレンに連れられてたどり着いたのは、桜に酷似した花を満開に先誇らせた大樹……ではなく、それを中心に作られた街だった。「花の街 ハルル」というらしい。あれは桜ではなく、ハルモニア、ルルリエ、ルーネンスという3種の木々が絡まりあってひとつの大木のようになっているそうだ。その3種の頭文字をとって、「ハルル」と呼んでいるのだとか。やっぱりどれをとっても聞き慣れない名前だなあ、と日和は目を瞬かせた。
「この木が魔導器(ブラスティア)を取り込んでいてね、普段は街の外からやってくる魔物などを入ってこれないよう結界を貼る役割を担っているんだ」
「へぇ〜! その、ぶらすてぃあって、いろんなところで活躍してるんですね!」
数時間もしないで随分フレンと日和は打ち解けた。なにも知らない日和を見かねて、いろいろなことを教えてくれるうち、日和がフレンのことを「……なんだか、先生みたい」と言い出したのがきっかけだ。はじめは「先生は恥ずかしいな」と言っていたフレンも日和に「あれは、これは」と尋ねられるたび悪い気はしなかったらしく、「ああだよ、こうだよ」と打てば響くように教えてくれた。おかげで、日和は少しだけ、ほんの少しだけこの世界に詳しくなった。
この世界(星とも言えるだろうか?)は、地球ではなく「テルカ・リュミレース」。エアルという不思議パワーの源がそこかしこにあって、それを人々は魔導器(ブラスティア)を媒介とすることで生活にまつわる様々なことに活用している。ただし、そのエアルは便利な活用法がある一方で、濃度が高すぎれば周囲の環境のみならず人体にも悪影響を及ぼすこともあるそうだ。地球でいうところの生命活動に必要不可欠な酸素とか、生活と切り離せなくなっている化石燃料、みたいな扱いのものと考えるといいのかしら、なんて日和は思った。
(エアル、という響きは「Air」、つまりは空気に似てるなあ、というただの連想ゲームなんだけどね。)
そして、フレンに助けられたあのときいきなり襲ってきたのも、街までの道中で襲ってきたのも、どれも魔物というらしく、どうやらポケモンではないらしい。魔物はこの世にたくさん存在し、人を襲う習性があるうえ、基本的に、並大抵の人間よりも強い。だから、この世界にただ一つ存在する国──(世界に国が1つしかないなんて!)と日和は、驚愕した。──「帝国」は街の内部に魔物が入ってこれないようにと結界魔導器(シルトブラスティア)と呼ばれるものを都市ごとに設置して、人々が安全に暮らせるようにしているのだという。前述したハルルの木も変異種とはいえ、結界魔導器(シルトブラスティア)の1種だそうだ。
「けれど今は満開の時期だから、結界としての効力が弱まっているらしいんだ」
フレンが苦い顔をした。
(……? よくわからないけど、花を咲かせる方にエネルギーが回されて、結界の効果に割くぶんのエネルギーが足りないということなのかな?)
日和には専門的な、難しいことはよくわからない。しかし、結界としての効力が弱まっているということは、つまり魔物が入ってきやすくなっているのと同義だ。普段結界で守られている街の内部が、街の外とそう変わりない状況になってしまえば、魔物がいつ侵入してしまうかわかったものではない。(常に命の危険を感じながら普段の生活を営むのは難しいだろうな、わたしだったら夜だって怖くて眠れないもん)と日和はひとつ、小さく頷いた。
それから2日ほど何事もなく経過した。街に目立った異変は見られない。その間に日和にわかったことといえば、フレンに教わった「この世界のこと」と、時間の流れ方が地球とそう変わりなくて朝や夜があること、料理にももとの世界と同じようなものがたくさんあるらしいこと、それくらいだ。
「少し街の周りを見てくるよ、君はここで待っているといい」
「はい……その、」
「?」
「お気をつけて、いってらっしゃいませ」
「! あぁ、うん、……いってくる」
とはいえ、不安定な結界に不安を抱えている住民を思ってか、フレンはこの数日間街の外へ繰り出しては近くに迫る魔物を退治している。日和はその間、ピカチュウの様子を付きっきりで看ている。しかし日和には、水で冷やした布巾を額にのせてやったり、ピカチュウの身体を拭いてやったり、鞄にあったオレンのみなどを混ぜた重湯っぽいものをピカチュウに少しずつ食べさせてやるくらいしかできなかった。この近くに獣医やポケモンドクターらしきひとがいなかったというのもある。しかし、日和が思いつく限り、できることをした。
果たして、ピカチュウは無事快復した。よろこびのあまり、日和はピカチュウに駆け寄って、それに対してピカチュウも日和のほうへと飛びついた。互いに抱きしめあうのを、数日ぶりなのに「久しぶり」だと思ってしまう。それくらい心配していたのだ。
「ピカチュウ!」
「ピカピ!」
「よか、よかったよぉ……ぅ、うぅ……」
日和の看病が功を奏したのか、こうして元気になってくれて本当に良かったと日和はひどく安心した。安心しすぎて涙が出てきたが。
「ひっぅ、う、うっ、……うぇ〜〜〜ん!」
「ぴ?! ぴぃ〜か……」
そのまま泣きはじめてしまった日和。ピカチュウが日和の前で倒れたのは初めてだった。「いつも元気でにこにこはっぴー!」という雰囲気が通常運転なものだから、今回のことは日和に随分心配かけてしまっただろうな、と感じ、ピカチュウはそのまま日和を泣かせてやろうと思った。抱きしめられたまま、日和の頭をポンポンとなでてやる。
すると、部屋のドアからノック音がして数秒後、ガチャリ、と音を立てて誰かが部屋へと入ってきた。フレンだ。
「ぴ?」
「……?」
「ぐっすん……ずび……、………………?」
日和はピカチュウを抱きしめたまま号泣しているところを、入室したばかりのフレンに見られた。
感謝の念や羞恥心、安堵、混乱……様々な感情が胸中を去来して、日和は一拍おいてさらなる大号泣をかました。
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