「ギャオォォオオォン!」
「!!!!」
ピカチュウの容態に気を取られていると、横の茂みから灰色の、オオカミのような生き物が襲いかかってきた。日和はとっさにピカチュウに覆いかぶさって、守ろうとする。背中がガラ空きの状態だとはわかっていたが、今はとにかくピカチュウを守ることに必死だった。いつも助けられているぶん、余計に。
(新種のポケモンかなんか?! それにしたって、飛ばされて途端にこれはさすがにいただけないよぉ!)
こんなふうに(不本意とはいえ)また新しい世界での人生の一幕がはじまった途端にあっさりと終わってしまうのかしら、なんて日和が諦めかけた次の瞬間だった。
「瞬迅剣!」
「ギャンッ!!!」
誰か、ひとの声。それに合わせて、襲いかかってきたはずの生き物が突き飛ばされて、日和たち──いや正確には男から距離をとった。
恐るおそる日和が声のした方に顔を向けると、自分の目の前に、背を向け臨戦態勢の男がいる。青を基調とした鎧のようなものを着用して、背には真ん中に深く切り込みが入ってまるで羽のような形態のマントをつけていた。後ろ姿だから、あとは男が眩しい金髪であることと、背が高いことくらいしかわからない。
あっという間に男は生き物を倒してしまうと、振り返って日和のほうに近づいてきた。男──いや、まだ年若いから青年といったほうが正確だろう──は、気遣いに満ちた目で日和のほうを向いている。
「……お怪我はありませんか?」
「あっ、は、はい! おかげさまで、無傷です」
「それにしても……こんなところで一体何を──、見たところ魔導器(ブラスティア)を持っておられないようですが」
「……?」
不用心だぞ、と言外に匂わされているようではあったが、「ぶらすてぃあって、なんぞ?」などとデカデカと書いたような顔で首を傾げて日和は困惑してしまう。ぶらすてぃあ? 「持っていないのか」とか言っていたから、きっとものの名前なんだろうな、と日和にも見当はついた。しかし、そんな名称を持つものが今まで身近にあったこともなければ、ましてや所持しているはずがない。しばらく「ブラスティア」という響きを頭の中で反芻させてみたが、やっぱり覚えがなかった。ブラスターとか、ブラスバンドとかなら知っているんだけどなあ、と思考を巡らせたため日和はそのままの姿勢で固まる。それよりピカチュウのことのほうが気がかりなもので、さっさとそういったことは頭の片隅に追いやってしまったけれど。
「え、えと……?」
「……この近くの街の方、ではないのですか?」
「──ッ、近くに街があるんですか!? よ、よかった……」
「──……街の方では、ないのですね? なぜこのようなところに?」
日和はうっかりと青年の質問に答えるのも忘れ、あからさまに安心した。近くに街があるならば、ピカチュウが静養する場も設けやすいかもしれなかったからだ。ひと安心、ひと安心……いや、まだ根本的な問題すら解決していないから、何も安心できない!!!!
「……ハッ、すみません! わたし、いま絶賛迷子中で自分がどこにいるのかさえわかってないです!!! あとこの子が急に熱でぐったりしててとても混乱してます!!!!!」
「……?!!」
青年は、日和が抱えたピカチュウを見やると、生まれてはじめてそんな生き物を見た、という意味を含めて困惑を隠しきれない顔をした。けれど、矢継ぎ早に日和が「助けてください!!!!!!」とあまりにも余裕を失った様子で助けを求める姿を認め、意を決したらしい。日和に手を差し伸べてくれた。
「……、まずはこちらへ。急いでその子を助けるのも重要でしょうが、少し休んでから街へ向かいましょう」
「え?」
「急なことだったでしょうから、きっとあなたも疲れているはずです。すぐには疲労に気づかないかもしれませんが、あなたが休むことも必要ですよ。その子が元気になったとき、あなたが元気じゃなかったら大変でしょう?」
「えと……、はいっ!」
日和はなにも疑わず、その手をとった。つい先ほど助けてもらったから、という安直な理由からだったが、それでもきっとこのひとなら信じても大丈夫だという妙な確信もあった。
「──、……つまりまとめると、あなたはその知り合いの方と不意の事故ではぐれてしまって彷徨っていた、ということなんですね」
「そう、なるかと……」
「しかも、ずいぶんと遠くから……。なるほど……さぞ怖い思いをされたことでしょう……。とはいえ、私も『巡礼』の途中でして、その方をともに探すのは難しいかもしれないですね……大変心苦しいのですが」
「いえそんな! 助けていただいただけでもう十分すぎるほどです!」
休ませてもらっている間に、いま自分がわかっている範囲かつ話せる範囲のみではあるが、日和は青年──フレン・シーフォ、という騎士だそうだ。小隊長職らしい。──に話した。結果、「知り合いと旅していたら急な事故()に見舞われたらしく、しかしその瞬間の記憶がないまま迷子になって、事故現場()より遠く離れた森で彷徨っていた、世間知らずにもほどがある人物(記憶喪失の可能性も高め)」と認識されてしまった次第だ。説明がすごく長いうえすごく胡散臭いが、当たらずとも遠からずではある。
正確には、「ピカチュウたちとのんびり旅していたら急な事故()に見舞われたせいでまた新たな世界へと飛ばされることとなったあげく、事情を知っていそうな知り合い──千代子のことだ。出会ってすぐなので顔見知り程度でしかないが──とはぐれてしまった」、「しかも目覚めたら森の中だし、相棒のピカチュウは具合悪いしで混乱して焦燥気味だし、そもそも世界が違うので世間知らずもなにもない」、こんなところか。
フレンに全部を伝えないのは日和の良心が痛むようだったが、本当のこととはいえ非現実的すぎて頭がおかしいと思われるリスクのほうが恐ろしかった。まだ自分だって心から納得しきれていないのだ。事実としてわかることと、納得できることは、ちがう。
それに日和が初めてポケモンのいる世界へと飛ばされてしまったときとはまた状況が違うのだ。あのときは、飛ばされて間もなくグリーンたちの方から「もしかすると日和は違う世界の人間なのではないか」という考えが僅かでも浮上した。しかし現時点でフレンには「不思議な装束を身にまとった、記憶喪失疑惑のある迷子系市民」程度の認識しかされていない。正直に言い出せないのを他人のせいにするというよりかは、言い出すための反応とそのタイミングをまだ図りかねているのだ。
一方、ピカチュウの容態は依然として良くはないが、強いていうなら先ほどよりは楽そうかもしれない。あくまでも日和の目にはそう映った。だがピカチュウを思うなら休養のためにモンスターボールに入れたほうがいいし、実際そうしようと日和だって何度も思ったが、ピカチュウが熱にうなされたまま入るのを拒否している。
それに、フレンがモンスターボールを所持している様子はない。ここはボールを使わずポケモンと共存する世界(いや地域色なのかもしれないが)なのだろうか。
いや、きっとそんなことはない。
フレンが何でさっきの生き物、(日和からすれば)推定“ポケモン”を倒したか?
あれは、剣だ。武器だ。
ひとがなにかを護り、傷つけるために使うこともある、武器だ。
そうでもしなければ、こちらがころされてしまうことだってあったから、ああやって……──。
(そういえば、あの生き物は……、ポケモン、だったのかな? それにしたってずいぶんと荒々しくて、まるで……まるで、わたしたちを喰い殺そうと……? いや、ポケモンだって人間を殺そうとする例だってあるって聞いたことあるし、でも、でも……!)
急に考えるのが怖くなって、日和は思わず身震いした。
「どうか、されましたか?」
「ぁいえ、何も……あっ!」
「?」
「そうだ、先ほどのお礼をまだ言ってませんでした!」
「いえ、市民をまもるのが騎士の務めですから」
「それでも! (例えわたしが、フレンさんの言う“市民”に該当しなくても)していただいたことに感謝はするべきです! 本当にありがとうございました!」
「……どういたしまして」
フレンがふわりと笑った。日和もその表情を見て、さらに顔を綻ばせる。
「さて、街へ向かいましょう。あまりここに長居すると、すぐ日が暮れてしまいます」
「はいっ!」
フレンの提案に素直に頷いて、日和はピカチュウをしっかり抱えなおし、歩きはじめた。
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