「ピカチュウ、次の街はこっちの道を行けば……辿り着くよね?」
「ピ……」
「合ってる……?」
「ピ……、……………………ピカチュ!」
「合ってる! やったー!」
「ぴっかー!」
暖かな日差しの下、日和とピカチュウは今日も旅をしていた。いま彼女らがいるのは、ホームのカントー地方マサラタウンを遠く離れて、温暖な気候に恵まれたホウエン地方ヒマワキシティ、を少し進んだところだ。地図があっても高確率で迷子になる日和だが、ピカチュウやほかの仲間たちのフォローによってどうにかそのまま遭難者にならずに済んでいる。本当にピカチュウたちには頭が上がらない。
「よし! じゃあ出発ー!」
「ぴっかぴー!」
そう言って、足を踏み出した瞬間のことだった。
突然、ピカチュウの足もとが光った。肌さえも貫いてしまうような鋭さこそないが、激しい光の奔流が、譜陣という形をもって展開される。見たこともないような光る模様が、地面を侵食するかのようにじわじわと大きくなって、あっという間にピカチュウと日和たちを巻き込もうとした。
「ぴ?!」
「なにこれ?!」
こんな道端でポケモンの急襲を受けるようなことはしていないし、もちろんする予定もない。日和は焦った。しかし、この現象はポケモンのせいでも、ポケモンの技の効果でもないように思える。
(一体、なにごとに巻き込まれているのかな?!)
「ピカチュウ、おいで!」
「ぴっか!」
咄嗟のことだったので急には動けなかったが、日和は急いでピカチュウを抱きあげて、その不審な光る陣から出ようとした。しかし日和の思惑とは裏腹に陣は光を強め、渦を巻くようにして日和たち目掛け収束していく。
……いや、正確には“ピカチュウを中心に”収束”せんとしていた。その事実には全く気づいていないが、ピカチュウを離す気は毛頭ない日和は、ただがむしゃらに駆けて陣から遠ざかろうとする。最後はもう目なんかぎゅうっと瞑ってしまって、日和は前もまともに見ていなかった。
「も少し、も、少し……っ!」
「ぴかぴ……!」
けれど健闘むなしくも日和がその不審な陣から逃れることは叶わず、一瞬さらに強く陣が光るとその場には1人と1匹分の足跡しか残らなかった。
次に日和がまぶたを開けたとき、目の前は先ほどまでの景色なんか欠片もなかった。何と表現すれば一番近いだろうか。等間隔、縦方向に小さな窓のついた、縦に長い、青白く光るトンネルのような……? ともかく、そんな空間を、重力を感じることなくふわふわとゆっくり下降しているらしかった。
「なにこれ……?」
「ぴか……」
「あれぇ?! わたしの他にもひとがいる」
「──えっ?」
突然背後で見知らぬ声がした。柔らかい、女のひとの声だ。日和が思わず身体ごと振り返ると、そこには艷やかな長い黒髪に紅い玉石のような瞳をした見目麗しい女のひとがいた。
「! その腕の中の……!!!」
「えっと、……?」
「あぁうん、なるほど、なるほど、そういうことか……完璧にわたしが巻き込んじゃったやつですねー……はい」
「ぴーか……?」
「あ! ごめんね名乗りもせずに……わたしは真理江 千代子」
そのひとは、日和が抱えているピカチュウを見た途端なにやら合点がいったらしく、ひとり納得したような顔をした。日和には、何がなんだかわからない。ただ、目の前の女が真理江 千代子(マリエ チヨコ)という名前だということしか新しく入ってきた情報がない。
「わ、わざわざご丁寧に……わたし、春日井 日和といいます、こっちは相棒のピカチュウ」
「ぴっか!」
「よろしく、日和ちゃん、ピカチュウ! 『日和』って、かわいいお名前! もうすでに呼んじゃったけど、日和ちゃんって呼んでも?」
「もちろんです、……あの、真理江、さん? ここって……」
「やぁだ、千代子でいいよぉ! ──話は戻すけど、わたしも明確なことはその、わかんないんだけどね、こう、世界と世界の隙間というか、狭間、みたいな……? 普段、わたしも滅多に来ないから、んー……」
(世界と、世界の、狭間……?)
なにやら相当ファンタジーなことに巻き込まれているらしいのだわ、ということを薄く認識する。一度、全く同じとは言わないが摩訶不思議な現象とかち合っているとはいえ、今回もまだしっかりとした実感が湧かない。思わず腕の中のピカチュウと目を見合わせてしまった。
「ただ、その、ごめんね、どうやらわたし“ら”の事情に巻き込んじゃったから日和ちゃん、ここに来ちゃったみたいなんだ。いますぐさっきいたところにすぐ戻してあげたいのも山々なんだけど、経験則上それも難しくて……、」
一瞬、千代子が口籠る。そして、「──その……もっと言うと、このまま、また別の世界に飛ばされちゃうと思う」と、苦々しく告げた。
「え……」
「ぴかぴー……」
(やっとの思いで異世界での戸籍を得て、ようやく社会的に認められる存在になって、旅を始めてまだ数年しか経っていないのに、今度はまた別の世界?)と、日和は愕然とした。その表情をみて、千代子が慌てて言葉を続ける。
「ほんとにごめんなさい……、だけど、『わたしに課せられているミッション』がちゃんと済めば、きっともとの場所に戻れるはずだから……!」
「──ほ、んとうに?」
「ぴぃーか、ぴ?」
「ほんと、ほんとに! お帰りの際はわたしが全力でサポートして、もとの場所に戻れるようにするから! 約束、する!」
初対面で信じて、なんて言われても困ってしまうが、日和は、このひとなら信じてもよさそうだ、と感じた。なぜかはよくわからないがきっと大丈夫だと、不思議とそう思える。
何より──、自分の相棒たるピカチュウに雰囲気が“似ている”ように思えたから。
「なるほど?」と心の内で謎の納得感を得ているうちに、だんだん下のほうの空間から光が、まるで煙がたちのぼるかのように溢れてきた。それに気づいて、千代子が少し焦った様子を見せた。
「──ああもう! もう時間がないや……もっと伝えておきたいこととかいろいろあるのにぃ……! 日和ちゃん!」
「千代子さん?」
「ぴかー?」
「このままわたしたち、同じ世界に飛ばされると思う! でも、同じ場所や時間に運ばれるとは限らない! それに……今回は魔法とか魔物とか、ともかく戦いのあるタイプの世界みたいだから、いろいろ危ない目に合う可能性もある……! 生命の危機だってあるかもしれない、けど!!! 約束する! わたし、日和ちゃんのこと、絶対まもるから!」
大丈夫、こう見えても荒事には慣れてるからね!
千代子が柔らかく笑った。力こぶを見せつけるようなポーズをとっているが、あいにく彼女の細めですらっとした腕にはそのようなものは見えない。千代子のひょうきんなさまを見て、日和はくすっと笑ってしまった。
流れを断ち切るかのように、「あ、そうだ、」と千代子がおもむろに思い出したように言った。
「また会えるときまで、これ持ってて! 『使う』だけで体力を回復できる盾! 改良したからそんなに重くないとは思うんだけど……! 守りにも優れているはずだから、念の為持ってて! 必ず日和ちゃんのこと見つけるから、探しにいくから……見つけて、まもるから! どうかそれまで……──!」
千代子がまんまるの形をした盾を日和によこしたあたりで光が津波のように押し寄せて、次いで水もないのに濁流のような音があたりを襲った。日和には千代子の言葉を最後まで聞けなかった。そして、何も見えなくなった。意識も遠のいて、真っ暗になった。
──サワサワ、木の葉が風に揺られて擦れ合う音が聞こえる。
そっと日和が目を開けると、足もとは草が生い茂る地面で、どうやら自分は倒れ伏していたらしいとわかった。あたりを見回すと、鬱蒼と木々が立ちひしめいている。その過程で、すぐ近くに己の相棒たるピカチュウも寝転んでいるとわかり、近寄ってみた。
「ピカチュウ……?」
「ぴ、……ぴ…………」
「?! どうしたの、熱っぽいよ?! え、ど、どうしよう……さっきまで何ともなかったのに……」
ピカチュウはぐったりとしていた。そんな予兆だって、見せていなかったのに。なんならヒマワキシティのポケモンセンターで一泊してすぐの出発だったのに、これはおかしい。ジョーイさんにも「健康ですよ」と太鼓判を押されるほど元気な姿だったのに、こんな急にぐったりとすることあるだろうか。
日和はパニックで頭が真っ白になりそうだったが、懸命にこらえた。とにかく、ピカチュウをこのままにしておくわけにいかないし、この森から早く抜け出してどこか街を探さなくては。
「そういえば千代子さん、魔物がどうとか魔法がどうとか言ってたっけ……?!」
それはつまり、ポケモンがいる世界とはまた別の世界なのだ、と示唆しているのではなかろうか、と日和は思った。
どうやら千代子は、どんな世界に飛ばされるのかをわかっていたのではないか、と。『ミッション』とはつまり、明確な使命・任務のことで、彼女にはそれを遂行するための情報が予めいくらか与えられていたはずだ。その中には、世界についての情報だってあったかもしれない。だから彼女は「魔法」や「魔物」といったワードを口に出せたのだろう。
すなわち、いま、自分がいる“ここ”は、魔物が存在している世界の、その一部であるということだから──……!
「ギャオォォオオォン!」
「!!!!」
日和は、日和たちはいま、いつ魔物に襲われるかわからない危険にさらされているということだ──!!!!!!
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