ハンコックの見た薄明 前編

ずっと、死ぬ事ばかり考えていた。

今日だって。

聖地だなんて名ばかりの屠殺場。
ヒトの尊厳が毎秒“いのち”ごと、“こころ”ごと踏みにじられる。そんな表現すら生ぬるいほどのこの地獄で人生の数年が浪費された。

数年前のある日、人攫いに拐かされてからというもの、自分の周りには自らを脅かすものしかない。自身の妹であるマリーゴールドとサンダーソニア以外は全てが敵だ。そう思って生きてきた。

なにも信じられない。信じてはならない。
矜恃を持ち続けて生きるには、あまりに此処は過酷だった。

朝が来ることも、夜が来ることさえ怖くて。
毎日己を取り巻くあらゆるものに脅え、恐ろしさのあまり心身ともに削られ続けて息も絶え絶えになりながら、けれどそれでも愛する妹たちを置いてはいけなくて。

ハンコックは今日も変わらず死にたかった。
けれど彼女は今日も変わらず死ねなかった。

妹ともども、今日も死に方さえ選べないような生き地獄にいた。

​───────けれどその地獄は突如消え失せる。
《聖地》は今宵、一晩にして(一部)更地となったのだ。

*******

 

はじめ、ハンコックには何が起こったのか分からなかった。

「……ッ?!」

ただ聞いたこともない大きな崩落の音と、怒号、悲鳴、爆発音、様々な音が混ざって、彼女の耳をいやに刺激した。夜が怖い今のハンコックには、外から聞こえてくる異様な音に怯えて震えていることしかできない。しかし己のそばにいた妹たちはもっと震えていることに気がついて、彼女はうまく動けない体をおしてぎゅうっと2人を抱きしめてやった。

「姉様……ッ」
「姉様ァ……ッ!」

音がだんだん押し寄せてくる。頭がガンガンして、クラクラと目眩さえしそう。ハンコックは、サンダーソニアが、マリーゴールドが、怖がっているのにうまく慰めてやれない。3人揃ってボロボロ涙零して、その場で蹲っていた。

 

ガシャァアン、ガラガラ!!!

「……〜〜〜ッ?!!」

物々しい音が今までの中で一番近くで鳴り響いて3人とも絹を裂いたような、ほぼ音以外の意味を持たぬ悲鳴をあげた。もはやパニック寸前だ。正常な思考を今にも止めてしまいそうなほど。

「こんばんは、皆さん。そして、初めまして。夜逃げのお時間ですよ」

そこへ柔らかな声音が、そっと寄り添うような福音が響いた。その声を聞いた途端、何故か心がひどく安心して、パニック寸前だったことなんか嘘のように凪いだ。

声の主は、純白の騎士だった。魚人の大男フィッシャー・タイガーの傍に、まるで彼を主と仰ぐかのように控えている。鎧の随所に金色の太陽のような意匠が散りばめられており、緋色の外套を纏って、この世に在らざる神聖ささえ放っていた。……この直後紡いだ言葉がかき消したけど。

「それでこちらが本日の主役です」
「言ってる場合か!」
「だってこれ最初に考えたのあなたでしょう?」
「……、そうだが! 今それどころじゃねえだろう?!」
「大丈夫ですって、まだ時間稼ぎくらいできます。残党だってすぐには来ませんよ」

推定主(タイガー)相手に軽口をきいている、しかもこんな場面なのに言動がゆるゆるな侍従(仮)。その気安さから寧ろ主従というより友人を彷彿とさせる雰囲気をこんな場所で形成している。愉快な甲冑と魚人の大男in聖地。おかしい。此処はほのぼのするような場所じゃない。

(一体、わらわたちは何を見せられているのだ……?!)

困惑が隠せないでいると、ポツリと白騎士が何かを呟くように動いた。聞き慣れないその音に疑問符を浮かべているうちに誰かが「あ!」と短く小さく叫ぶ。気付けば、枷という枷は外されていた。無感動に己の首へと鎮座していた忌まわしき戒めもいつの間にか地に落ちている。他の奴隷も同様だった。

能力者だったのだろうか、騎士が何かしたことだけは確かだった。

そこでやっと思考が追いついてきて、この2人が「奴隷にされていたものたちを(無謀にも)助けに来たのではないか」と思い至る。

……まさかそんな、本当に?

じわじわ、うずうずと心の奥が動くような心地がする。

(もし……もしも本当に“そう”なら、どんなに​───────……)

 

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