早く起きないかなぁ、と遠くで誰かが呟いている。
うきうき、わくわく。
ただひたすら心待ちにしている幼子のようなその声音に慰められた気がして、意識が浮上したと同時にゆっくりまぶたが開いた。
「───────あ、やっと起きた!」
「…………え?」
寝起きいちばんに千代子の目に入ったのは、光り輝くミントグリーンの瞳だった。人間の髪の光沢とはまったく違う、それこそ宝石そのものが光を放っているような……?
どんな構造をしているんだろう、と思考を巡らせているとそれを断ち切るように続けて言葉があった。
「この僕より寝坊助だなんて、ぼくの“後輩”は大物だわね!」
(こう、はい…………???)
「あっ……そうだ、起きたら“先生”のとこに連れてくるようにって言われてるんだった」
こっちこっち、付いてきて!
遠慮なく手を取られ、起き上がらせられる。
その手に不思議と嫌悪感は覚えなかった。
(こうはい……って、後輩? 気絶して寝てる間に先輩が出来ちゃったな……?)
急に立ち上がったのが原因で、千代子は立ちくらみがしてよろけそうになる。しかし相手は気がついていないのかずんずん進んでいってしまうので、千代子は付いていくのに必死だった。歩いているうちに立ちくらみはしなくなったけれど、ちょっと配慮が足りないわね……と一抹の不安を感じる。寝起きで目がぱっちり開いたとしても転倒すると危ないのよ、と指摘する暇さえない。あと身支度も済んでいないんですけどね?
勢いに呑まれ手を引かれるまま廊下を進んでいくと、とある部屋の前でミントグリーンの御髪の美しいヒトがやっと足を止めた。
「ここに“先生”が居るんだ」
(教育者がいる……?)
「───────失礼します!」
礼儀正しくそのヒトが入室前の挨拶をすると、「ああ」と返答があった。続いて「入りなさい」とお招きされる。
それはまるでウイスキーのような深みのある低い声音。
どんなひとなんだろう、と千代子はちょっと興味が湧いた。
そして再び足を進め入室した先に居たのは、千代子が想像していた“先生”とは一味違った。
「フォス、よく連れてきてくれた」
お坊さんだ。
背丈が2mくらいある。
今フォスと呼ばれた、あのミントグリーンのヒトと比べても頭数個分上に坊主頭が鎮座しているので、相当背が高いとみた。
(それにしたってめちゃめちゃ大っきいな………………)
目算、2mくらいか。
逆光により顔の正面が陰っているうえ、見下ろされることで更に威圧感が生まれてしまっている。千代子が小学生くらいの年頃だったら怖くて泣いていたかもしれない。正直今も、月での出来事を思い出してしまいそうで涙腺が刺激されかけている。そんなの、このひとに何ら関係もないのに。
ぐだぐだと考えていると、気づけば“先生”は千代子の目の前にいた。巨体には酷だろうに、腰をかがめてこちらの顔を覗き込んでいる。フォスよりは千代子の方が背が高いとはいえ、この“先生”と比べれば千代子は頭1つ分ほど背が低い。腰をかがめるのが負担かといえば、やはり負担には変わりないだろう。
「ふむ…………」
「……」
“先生”の両手は千代子の両頬へとそっと添えられ、整った顔立ちが物理的に接近してくる。手の大きさに記憶を刺激されて一瞬身構えてしまったが、想像していた柔らかさは伝わってこない。むしろ、手袋の柔らかさに軽減されつつも硬く、ひんやりした温度が包んでくるよう。アレとは違うのだと即座に認識できる。それで安心してしまった。
至近距離につり目がちな切れ長の目があって、それも千代子を安心させるのに一役買った。人間の五感は視覚情報が8割を占めるとどこかで聞いたことがあるが、成程。悪夢のような男の面影なんて思い出さなくてもいいのだと分かったのは大きい。アレはどちらかというとタレ目がちだったから、随分系統がちがう。ともあれ、自分より上背のあるヒトの形を思うと苦手意識は多少あれど、この場で泣いて喚いて叫び出すような真似をしなくて済むのならそれに越したことはないだろう。
「───────フォス、」
「はい金剛先生」
「少しこの場を……いや、寝室の整理はどうなっている」
「え?」
「凡そ、お前は起きたのだからとそのまま連れてきたのだろう、部屋がそのままなのではないか?」
「あっ……、はい」
「……世話をするとは、部屋のあれこれも面倒を見ることを含んでいる。“仕事”のひとつだ、できるか?」
「! できます、いってきます!」
透明なミントグリーンは、声だけでも分かってしまうくらい喜色をあらわにそそくさと退室していった。すなわち、今この場にいるのは千代子と“先生”のみ。
「すまない、寝起きだっただろうに御足労おかけした」
「い、いいえ、お気になさらず。むしろ、こんな格好で参上して失礼いたしました。……それでその、わざわざあの子を下がらせたのは?」
心做しか、時間が経過すると共に“先生”の態度が変わっていくように思われて千代子は訝しさを覚えつつ対峙した。
ただ答えを待つ。
程なくして、願いは叶えられた。
「きみが、恐らくわたしたちとは違う存在だからだ」
「違う存在?」
その深く低い声が、決定的な言葉を紡ぐ。
「きみは……『にんげん』だろう?」
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