結論: いけたわ。
お許しが出た。なんだこの即オチ2コマ。いやその、結果的にはよかったんだけど、精神的にはよくないですね、いやこれでよかったんだけど。
もちろん両親には幾度となく渋られたが、こんこんと説明に説明を重ね、重ねて重ねまくって、やっとのことで条件付きで承諾してもらったのだ。
やっててよかった天下統一。こんなところで天下統一のありがたみを感じなくてもよかったのに……。思わず涙が出ちゃいそう。口説き・説得()のスキルを発動させられるとは。
宗教団体を掌握してから一ヶ月ほどが経った。あの電話のあとすぐ(欲しがりさん()たちに司令を出したので)わたしは無事両親のいる家へと帰ることができたし、高校生活を恙無く送ることもできている。強いて言うなら帰宅部で、そのかわり宗教団体にほぼ毎日寄ってから自宅に帰るようになっている、という点が一般的な高校生との違いだろうか。信者の中でも教職を持っている人や、勉強が得意な者たちにそれとなく課題をサポートしてもらうこともある。わたしにだって苦手教科はあるんですよ。高校レベルの勉強が何百年レベルで久しぶりなんですよ。でも何故か「教えて」などというストレートな聞き方だとくしゃくしゃの顔でリテイクを要求されるので、最近では上から目線で命令するような言い方で教えを乞うようになった。信者たちの趣向がわからないよ……。ただわたしの芝居スキル()だけが着実に、牛歩の歩みとはいえ成長していく気配だけある。どうして。
「千代子さま」
不意に扉を叩く音がして、声をかけられる。どうぞ、お入りなさい、と言うとしずしずと入室した信者のひとり。信者といっても、この部屋に入ってくるような者たちは例の幹部クラスくらいのものだ。
「どうかしましたか」
「新たに入信希望で、面会をご希望されている方がいらっしゃいました」
「なるほど、ええ、ありがとう。では、こちらに案内して差し上げてね」
「はい、仰せのままに」
「よろしく」
やりとりから数分としないうちに、全身真っ黒スタイリッシュカラス族みたいな随分ノッポな男性が入室した。長く伸ばした髪の毛まで真っ黒、瞳も真っ黒で、ほんとう、まっくろくろすけみたいだ。
「どうぞ、お掛けになって」
「はい、ありがとうございます……、…………やはり、」
「はい?」
「いえ、……はじめまして、千代子さま」
「ええ、はじめまして、お名前を伺っても?」
男性は1拍置いて、ゲトウスグル、と名乗った。
「どんな字を?」
「季節の夏に、油でゲトウです。スグルは、英傑の傑の字で」
「なるほど、素敵なお名前ですね、音の響きがいい」
「ありがとうございます、……実はね千代子さま、私たち『はじめまして』じゃないんですよ」
「……、……はい?」
急に何を言い出すんだろう。
「10年ほど前にね、道端で、お守りだと称されてキーホルダーをいただいたんですよ、通りすがりのあなたに」
道端でお守り。キーホルダー。
「その、なかなか前衛的な形をしていましたが」
10年前……前衛的……?
10年前といえばまだ小学校低学年で、大人に比べあんまり手に力が入らないから何を作っても多少歪だった覚えがあるな。しかしだからといって筋力トレーニングをやりすぎるのもよくないし、突然そんなのやり始めたらどうしたんだろうと不審がられるかもしれないと考えて、結局あからさまなのはやらなかった。強いて言うなら担任が女の先生だったのをいいことに肩もみして遊んでいたくらいか? あれ、意外と握力とか鍛えられるんだよね。
回想にふけっていると、カチャリと音をたてて夏油さんが手に何かを持っていた。
鍵と……キーホルダーだ。
「あ、それ、」
「いただいた、キーホルダーです」
その造形に覚えがあった。確かにわたしが作ったキーホルダーだった。猫を象るつもりだったのに上手くいかなかった、でもはじめて作りあげた満足感でいっぱいの思い出の品、というやつだ。この前自宅の掃除していたとき、過去の作品を整理していて、どこへやったろうかと思っていたまさにそれそのものだった。そうか、ひとに渡していたから手元になかったのか。
「もしかして、あのときの……」
「うん」
「“怖いの”をやっつけてくれたお兄さん」
ぱぁ、と夏油さんが顔を明るくした。急に印象が変わるひとだな……。
「わたしが下校途中に出くわしてしまった“怖いの”を颯爽とやっつけてくれて、それから……丸く泥団子みたいにして、食べるって言ってましたよね」
「……うん、そうだね」
「でも、『それって美味しいの』って聞いて……お兄さんは『美味しくはないな』って言ってたから」
「『美味しくないのに食べるの?!』って、びっくりしたように君は聞いたね」
「だって食べることは生きることだって、教わったから……だから」
「『どうせなら美味しいものを食べてほしいな』って言って、助けてくれた御礼にって、このキーホルダーをくれたんだよね、」
まだ鮮明に覚えているよ、と気づけば随分砕けた口調で、夏油さんは柔らかく微笑んだ。
「キーホルダーをもらってからね、不思議なことに呪霊――君のいうところの“怖いの”を食べても、今までと違って酷い味がしなくなったんだ」
なんなら、美味しい味までするようになってね、本当に大したお守りをいただいたものだと思ったよ。ありがとう、と夏油さんが笑みをより深めた。
「いえそんな、大したことじゃあ、」
「そう謙遜しないで。大したことだよ、きみがそう思っていなくてもね」
そう言いながら、夏油さんはわたしの手をとって、両手で柔く、しかし逃げられない強さをもって握った。あたたかい、生きている温度だった。あの、助けてもらったときの、生気を失っているかのような、一瞬ひや、としたぬるい温度と違う。
「あのとき、きみに『ありがとう』って言われたのも、気を遣ってキーホルダーをプレゼントしてくれたのも、そのキーホルダーをもらってからいいことが押し寄せるようにして起こったのも、私にとっては『大したこと』だったのだからね」
なんと返すのが正しいのかわからなくなるほど幸せそうな笑みに、わたしはただ黙るしかなかった。素直に「どういたしまして」というのはきっと、こういうとき間違いじゃないし、むしろ模範解答だったと思うのだけど、夏油さんが醸し出す雰囲気にはどうにも似つかわしくないように感じたからだ。
「ああ、そうそう、きみに感謝を述べるのももちろん目的ではあったんだけど、本題はそっちじゃないんだ」
「?」
本題は別? そもそも入信希望ではなかったこと? それはどうでもいいかなあ、なんて思っていると夏油さんが言葉を続けた。
「本当はね、あのとき、呪術界のことを話しておこうと思っていたんだが……きみの名前をうっかり聞きそびれてしまったからね」と夏油さんが言いながら手の握り方というか、指の絡ませ方を変化させていく。
呪術界。
なんか新しいワードが来ましたね。なんですかそれ、なんかヤバそうな気配がしたんですけれどもね?
あと無意識なのかなんなのかよくわからんのですが、おててで遊ばれていますね、気がそぞろになってしまいますね。
はわわ。
わたしがもたもたオロオロしている間に、こちらのことなんか知ったこっちゃないとばかりに夏油さんは説明を施した。もしや夏油さんはゴーイングマイウェイなのか?
「ええと……つまり、わたしが強力なラッキーアイテム()を作っててそれが悪用されたらヤバいし、そもそも呪術界で人材が不足してるから、保護されるか手伝って呪術師になってくれってことです?」
「大枠そんな感じかな」
「でも保護だと監禁とそう変わらないし、手伝うというか、呪術師になるとくれば、殉死とか惨いことになる可能性が高い、と。それでいて、わたしがこのまま呪術界と関わらないっていう選択肢も、もうないんでしょう?」
「残念なことにもう上層部にある程度認知されているからね……」
「ただ、話を聞いている限りでは、このままでいるよりかはその、高専……でしたか――に編入して動いたほうが得策ではありますね。両親を直接巻き込んでしまう前に手を打つ必要もありますし……」
ならば、話は早いよね、とわたしは夏油さんの手をここで握り返し、立ち上がった。
「わたし、呪術高専に行きます。夏油さん、どうぞよろしく。でもその前に、両親の説得やらあれこれがあるのでちょっとばかり待っていただきますけどね」
「……いいのかい」
「こういうのは思い立ったが吉日と決まっているんですよ」
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