それを愛と気付かぬまま籠絡 10

なんだこの落差。最初から最後までかっこよく神秘的に終わると思ったら最後の最後でぽぽぽぽーんってなんだよ。吹くかと思ったわ。

「おばけちゃん増えた!」
「もうひとりのぼく!」
「よろしく!」
「よろしくー!」

ぶい、ぶい! 手遊びなんかしながら丸っこいのたちが、くふくふとわらった。ぶいぶいと言うわりにブイサインはできていないが。それどっちかってーとハイタッチでは?

その様子を見て夜蛾が険しい顔で震えているらしいのを、隣で感じ取っていた。こいつ顔に似合わずかわいいもの好きだからな……。随分ヒットしてんなこれ。ああすげぇプルプル震えてるわ……。可愛らしいものを見て緩みそうになる顔を必死に耐えてるんだろう。ウケる。

いやしかし……、なるほど? 俺が「呪力以外のものも含まれてんな」と思ったのは間違いじゃなかったってわけだ。毛色の違うのが、ひい、ふう、み、よ、……いつつ。まぁ、ひとつだけじゃないってのが千代子らしいというかなんというか。しかし、いつつはなかなか多くないか? ……おおまかに言えばふたつ、だけど。いやふたつでも多いわ。

ひとつが光。いのちの輝きそのもので、丸っこいのの核になってる。核の中で、外で、さまざまな光が渦を巻いているような……そんな雰囲気だ。

もうひとつは影。闇と言い換えてもいいくらいの漆黒だが、光を後生大事に包んでるな。ある意味“影そのものが呪い”だと、俺の目には見えた。

……千代子は、わかっているんだろうか。

「……こんな感じ、ですけれども」
「おつかれー」
「……確かに、呪骸とはまた少し違う――」
(アッ復活した)
「――まず本来なら呪骸のボディを用意しなくてはいけなかったが、真理江は人形ではなく『影』――……で、合ってるか?――それで代用したな」
「あ、はい、合ってます。その、なんだか『できる気がした』ので……全部なんとなく、ですけど……ちゃちゃーっとやっちゃいました」
「ちゃちゃーっと」

ちゃちゃーっと、とは。
千代子は感覚派だったのか。硝子みたいなこと言うんだな。

「実体化した影か……」
「おっと、おばけちゃんにご興味が?」
「もしや撫で撫でしてくれる可能性が?」
「ほんとお?」
「ほんとお?!」

お、丸っこいのがわちゃわちゃと夜蛾に集ってる。夜蛾は勢いに飲まれつつ無言で撫で回している……うわ、表情筋がビクともしないのに花だけ舞ってる……うわぁ。

「千代子、それでおばけちゃんは何ができんの?」
「おばけちゃんはね、まずバリア張れるかな、障壁」
「へえ?」
「防御が得意なんだよー」

「まず」っていったな。

「他には?」
「あと? そうだなあ――」
「ぼくたちはねえ、」
「ごはんつくれる!」
「ごはん!」
「おいしいごはん!」
「たべる!」
「お前たちが食うの?」
「ぼくたち、おいしいものすき!」

丸っこいのが、夜蛾に撫でられながらにこにこして言う。
ごはんつくれるのはすごいことだよねえ、と千代子がほけほけわらった。

唐突にごはん作れる宣言はおかしくない?  つか呪骸ってメシ食うの? 消化できんの? そして、できることが防御と炊事という組み合わせってどういうことなの。一体丸っこいのは何と戦うつもりなの?

「ぼくたちはがんばるひとのみかたー!」
「おいしいごはんで、にこにこげんき!」
「まんぷくしあわせぷろじぇくと!」
「たべることはいきることー」
「こうふくでせかいせいふくー!」
「ちょっと趣旨違ってきてない?」
「しあわせならば、よし!」
「……それでいいのか本当に?」

ピリリリ、ピリリリ。
電子音が急に響いた。夜蛾の携帯だ。

「はい、夜蛾……ああ、……――あぁわかった、今から向かう」

どうやら夜蛾にも任務が入ったらしい。簡潔に「真理江と悟は自習」と言い残すと、夜蛾は教室をあとにした。いってらっしゃいませえ、と千代子と丸っこいのが唱和した。

と、いうことは――。

「俺たちだけだね、千代子」

そう、つまりこの場には俺と千代子(と、丸っこいの2匹)しかいない! 実質ふたりきりだよこんなの! いつもみたいに邪魔してくる傑も硝子もいないし、夜蛾も今しがたいなくなったばかりだ!

「そうだねえ」
「おかーさん、ごじょー、ぼくたちはちょっと探検してくるね!」
「がっこーたんけん! たのしそーだから!」
「ナチュラルに俺のこと『ごじょー』呼ばわりしたな」
「だめー?」
「おこー?」
「おこじゃねえけど……まぁいいや」
「やったー!」
「んじゃあ、いってきまーす、おかーさん、ごじょー!」
「気をつけてね、おそらくいないとは思うんだけど、悪いひとに捕まんないようにねー」
「はいー!」「はぁい」

短い手をブンブン振りながら、丸っこいのがドアの外へふよふよと飛んでいった。

よし!!!!!!!
丸っこいのもどっか行った!!!!!!!!

俺は思わずガッツポーズをしそうになって耐えた。

「……あ、そうだ悟くんや」
「なあに、千代子?」
「もし今持ってたら、でいいんだけど、休んでた分のノート……貸してくれる? 写させてほしいな」
「……、もちろん!」

ああ……!!!! 1週間、珍しくノート取っててよかった……! そして今それを持ってて本当によかった……!!!

普段は座学なんか面倒くさいし、もう分かりきってることばかりだからってフケたり寝てばかりだった。けど、千代子と一緒にいる口実づくりができるなら安いものだ。実際こうしてノートを写すための時間に、千代子と一緒にいられる。

本当は1週間分のノートをまるごと千代子にあげることだってできた。そうする余裕だってたっぷりあった。だけど、それじゃあ“つまらない”から、しなかったのだ。

だってその場の、一瞬の「ありがとう」で終わってしまうなんてもったいない。千代子のことだから後日改めて何かお礼をしてくれるんだろうけど、そんなのノートを千代子に貸そうが、くれてやろうが、至る結果は変わらない。

俺たちは、逢えなかった間の空白を埋める必要がある。他愛もない会話や、何も語らなくともただ一緒にいる時間が必要なんだよ。

なら、より「長く一緒にいてもいい状況」をつくりやすい方を選ぶまでだ。

千代子と一緒に教室の机や椅子をもとの位置に戻したあと、千代子が座った席の隣に俺も着席した。本来の座る向きとは逆に、椅子の背もたれが前に来るように座る。こうすると背もたれに腕を置いて、頬杖なんかつきながら座れるのだ。

そして俺はいそいそとノートを取り出し、該当ページを開けて千代子に手渡してやった。

「はい、……ここからだよ」
「ありがとう、悟くん。……わ、悟くん、字が綺麗なんだねえ、お手本みたい」
「そう?」
「うん! すっごく綺麗だよ! こういう字、すきだなあ。……それにノートにまとめるのうまいねぇ、要点が一目瞭然だもん。」

千代子が、褒めてくれる。
“俺を覚えている”千代子が、褒めてくれる。

ああ、心の底が、くすぐられる。じんわりと奥底からあたたかくなって、勝手に頬が緩む。

「悟くん頑張ったんだねえ……すごいね」
「……ん」

そういうと千代子は片手を俺の頭にぽん、と乗せ、わしょわしょと少し控えめに撫で回した。思い返せば、千代子にこうして頭を撫でられたことさえ久しぶりだが、ああ、いつぞやと同じで心地いい。

思わず、ほぅ、と息を吐いて目を細めてしまう。

「あっ、ごめんね、悟くんを子ども扱いしたつもりじゃなかったんだけど……嫌だったかな、急に触ったりして……」

ハッとした様子で千代子の手が、俺の頭から離れていく――のを咄嗟に阻止した。

ぱし、と手首を掴んで、(え、千代子お前、手首細いな……)なんて驚きながら、やわく、優しく握る。

「やじゃ、ないし」

なんなら、もっと撫でてくれたっていいのに。じっと見つめていると、数秒で千代子のほうが折れた。

よし、勝った。別にいま誰とも戦ってねーけど。

「じゃあ、もう少しだけ……。――思ったんだけどさ、悟くんの髪の毛、いつもふあふあだねえ、シャンプーは何使ってるの?」
「シャンプー? ……なんだったっけ、寮に備え付けてあるやつ」
「えっ、あれでこうなるの……?」

動揺したせいか、千代子はもう片方の手も俺の髪に触れさせた。

わしょ、わしょしょ。わしゃしゃ、わしゃ……。

「ええ〜、不思議だね……もっといいのを使ってるのかとばかり思ってたよ?」
「めんどくせーし、あるのを使えばいいかなって。千代子は?」
「わたし? すきな銘柄があるから、それ持ち込んでるかな、髪の毛に合うやつ」
「ふ〜ん、どこの?」
「知ってるかなあ、〇〇ってとこのやつ」
「〇〇……」
「いい匂いなんだよ、わたしのお気に入りなんだ」

……、………………、……………………。

――しばらくして、千代子は手を止めた。

「触らせてくれてありがと。――さて、気を取り直してノート写すかな!」

シャーペンを握って、千代子は机のほうへと向き直ってしまった。
なんとはなしに千代子をじっと見つめていると、一瞬顔をこちらへ向けて「どうしたの、ずぅっと無言で見つめられているのはなんだかちょっと、照れるなあ」なんてそっと笑いながら言われる。

「千代子って案外照れ屋さんだよね」
「う、至近距離で見つめられるのに慣れてないんだよ……」
「かぁわいい」
「えぇ……うーん、ありがとう?』
「なんで疑問系なのさ」
「なんと、なく?」
「なんだそれ〜」

面白がりながら、千代子のノートを見やる。なんだかんだ、千代子の文字をまじまじと見るのははじめてかもしれない。

丸っこいようで四角くて、でもやっぱり丸い特徴的な文字だ。読みやすさで言えば、読みやすいほう。教科書などといった堅苦しい書物というよりは、街で配られるような手描きのチラシにありそうな、そんな字だ。

実際、千代子がまとめているノートに、らくがきじみたなにかが描かれて、ポイントやらヒントやらに添えられているので、そのイメージが強まった。あっ、丸っこいのも描いてある。

……几帳面にノート作るんだなあ、千代子。

あの夢の中では、年上の女とばかり思っていたのに、いざこうやって一緒の学校――とは言うものの、ここは呪術高専だから一般的な学校じゃない。だから一般的な授業だってほぼないようなもんだけど――で、同じ教室で、同じように、肩を並べて授業を受けているとなると、なんだか不思議な気持ちだ。

「――悟くんは、自習のあいだ、なにかしないの?」
「え〜、俺? 千代子の観察してる」
「それは照れちゃうからな……ご遠慮ください」
「ちぇ〜っ」
「こらこら」

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