1度わたしは家へと帰ることが許された。
自動車で送ってもらったので、車のドアを開ければすぐ、自宅の前だった。
外では両親の「ありがとうございます、ありがとうございます……っ」と連呼する声が聞こえる。
ふと前方を見やると、家の門の前で両親がこちらを向いて、涙をこらえながら直立していた。
それを見てわたしも、なんだかなみだが溢れてきて、歩みはやがて小走りになり、しまいには両親へと突撃するかのように駆けた。
「ただいま……っ!」
「おかえり千代子っ」
「おかえり、千代子」
ぎゅう、とふたりに抱きしめられる。すん、すん、と鼻をすする音がして、なんとなく、肩が濡れた気がした。わたしの視界も、こころなしか潤んでいるように感じる。
「もう帰ってこないと思ってたんだよ、無事でよかった」
「ほんとうにあなたって子は……」
「心配かけてごめんなさい」
あたまをこんなふうに撫でられたのはいつぶりだろう。身体の内側からじんわりあたたかくなるような感覚を得た。
「ほんとうにありがとうございました」
「いえ、こちらはすべきことを為しただけですので」
父とヤガさんが話しはじめたらしい。
あれ、なんだか、急に眠気が……。
そのまま少しじっとしていると母が「千代子、お腹空いてない? なにか食べる?」と聞いたので、わたしはうん、とひとつ頷く。
「あ、あのね、おかあさんのごはんがたべたいな……ぁ、でもなんかねむい……とても……なんで……?」
「……いくらでもつくってあげるわ、千代子」
「ほら、はやく中へはいろう、千代子もつかれたろ……、先に少し寝かせてやろうよ。……すみません、どうぞお上がりください、少し散らかっていてお恥ずかしい限りですが」
のたのたとそろって玄関に入ると、いつもの我が家のにおいがした。無意識に「……なつかしいなあ」と小声でつぶやいてしまうほど、帰ってきていなかったのだと自覚させられた。
わたしはそれから母に連れられ久しぶりの自室に向かった。
うとうとしているわたしを母が甲斐甲斐しく寝間着に着替えさせてくれて、布団を掛けてくれる。ちらり、わたしは枕元においてある時計の時刻を見やって、それから瞼がゆるゆる閉じた。
ふと目が覚めて、よく見知った天井であることに安堵した。
わたしは、帰ってこれたのだ、と。
しかし、数秒おいて、思い出した。
「帰ってきたけれど、ずっとはいっしょにいられない」と。
よく考えてみてほしい。
たかがラッキーアイテムを作れるだけで、拉致されるのはおかしいだろう。これは、事情を知る前のわたしでもわかる。
だがわたしは、そのラッキーアイテムで、死の淵に近いひとを「こちら側」に引き戻すという所業を、幼い頃にいちど、無意識のうちとはいえ為している。つまりは、もう回復の見込みが絶望的であると宣告された祖父を、快復させ「もと通り」元気な姿へと戻したのだ。
加えて、この前の、友人の退院。
あの子も、祖父とは違えど命に関わるような難病に苦しめられていたのだという。……普通おいそれと教えてもらえるようなことではないが、これは友人本人とご両親からこっそり手紙伝いで聞いたことだ。
友人も、明確な治療法が見つかっていないと医師に宣告されていたそうだ。入院中、下手すればいつ死んでもおかしくなかったという。けれど、わたしの見舞いのあとから「何故か、原因は不明だが」状態が快復へと向かい、奇跡の退院を果たした。
ひとを、死の淵から引き戻す。
ああ、そういえば、教団に監禁されていたころにも、いちど親子が涙をぼたぼたをこぼしながらしきりに感謝の言葉を述べていたこともあったなあ。
出会ったときも彼らは大号泣かましていて、うるさかったのでそのまま通り過ぎようとした。が、どうにも無視できなくて話を聞いたところ、たしか「自分の子どもがある日突然倒れたまま、目を覚ましてくれない、もうだめかもしれない」と言っていたか。嗚咽混じりなもんだから、解読するのが少々大変だった覚えがある。かわいそうだなあと漠然と思って、作りかけだった人形を完成させて、後日送った。
そう、たしかあれも、幾ばくの余命もなかったのを、急に息を吹き返すかのごとく快復した、とか言っていなかったろうか。
人生において、こんなに死の淵に近いひとと接触して、しかも快復した、なんて機会、そうそうないよなあ。
よいしょ。わたしは布団から出た。
意識も気分も未だどことなくふわふわしているが部屋着を整え、客間を目指す。
戸をノックして、ゆっくり開いた。
「千代子!」
「あら千代子、もう起きて大丈夫なの?」
「え、まぁ……ウン、大丈夫だと……思う? たぶん」
「そうだ千代子、あなた高専に転校してみる気はある?」
「えっっ」
思わずヤガさんの方を見た。
え、ねえ、ヤガさんてば、そんな局面(=高専に行くとかそういう話)まで持っていってくれたんですか????
だが、ヤガさんは微動だにしない。なんとなく、ヤガさんのかけているサングラスに「自分もよくわからん」って書いてあるような気がした。気がしただけ、だけど。
「千、代、子、聞いてる?」
「あっごめんちゃんと聞いてるよ……高専に行くかって話でしょ?」
「ええ」
「わたしは……、行ってみたいな。……謎の組織に拉致られてやっと帰ってきたところですぐの回答だけど、でも、行ってみたい。今回のことのあらましも、わたしのことも、聞かされてからそう時間は経ってないけど、このままじゃいけないって、思ったから。わたしは、」
「……ですってよ、あなた」
「そうか……」
なん……なんだ?
この「ついにこのときが来てしまったか……」みたいな雰囲気は……?
ごくり、つばを思わず飲み込んでしまった。
「こうなる予感は薄々してたんだ」
(父さん???? っていうか、ずいぶん予想してたのと違ってあっさりだ……? もっと何かあるかもって、何通りもパターン考えてたの、無駄だったかな……)
「千代子が小さい頃、じぃじ――母さんのお父さん――が倒れたことあったろ。あのとき聞かされたんだけど、母さんの家系を辿るとね、何人かいたんだって」
「?」
「不思議な力を持っているひと。……きっと偶然だろう、千代子はきっと違うだろう、って思ってたんだ。いや、父さんがそう思いたかっただけかもしれないな」
「どうやら千代子は、先祖返り、みたいなのよね。まさかわたしの娘がそうだなんて、と思ったけど……」
こういうのってあれよね、専門の機関に任せたほうが、ね! そのほうが、あなたに何かあったとき、頼れるものね!
(両親の受け入れ態勢よ……。万全すぎてあまりにスムーズ。理解力高すぎか?????)なんて思いつつ、母を見つめていると、心からの笑顔ではないことが伺えた。
母は手を固く握って、眉間に少ししわをのぞかせて、それでも笑っている。わらっている。
そうだよな、娘がわけのわからん組織に拉致されて、奇跡的に帰ってきたと思ったら矢継ぎ早に今度は「高専に転校するしない問題」だもの。しかも何の専門かと思えば、「オカルト」だ。
死ぬほど心配させておいて、ゴメンネの一言しかまだ渡せていない。
「――おばあちゃんのおばあちゃんも『そう』だったらしいんだけど、千代子とはちょっと違って、『予言』ができるひとだったんだって。それも百発百中だったとか。……それでね、その、『今回のことを、予言されてた』みたいなの……。」
「わたしが不思議な力を持っていたがために拐われて、帰ってくるまでを?」
母は無言で頷いた。
「わたしもね、聞かされたとき、そんなまさか、って思ったのよ。あなたの体質を聞かされたときと同じようにね。だけど、だけど……ほんとうに拐われてしまって……っ、どうしようってそれだけで頭がいっぱいになりそうになったとき、思い、出したの。おばあちゃんのおばあちゃんが予言したこと、それがほんとうであるなら、帰ってくるって、千代子は、わたしたちのもとへ、『拐われてもきっと、帰ってきてくれる』って。」
わたし、今までそんな予言なんか信じてなかったのに、縋っちゃったわ、と母がわらった。笑いながら、泣いていた。
「おばあちゃんのおばあちゃんが遺した予言があたった。なら、きっと、いいえ、確実にあなたには力がある。超常の力が。ならそれは、扱い方を身につけるべきだし、わたしたちや今の環境では教えられないことだわ。」
「おかあさん、」
「なあーに千代子、今生の別れってわけじゃないんだ。」
「おと〜さん、」
「ちょっと今までと違って山奥の学校に転校して、寮生活になって、……なって……グス、や、やっぱりざびしぃ……お父さんはさびじぃです」
「おとーさん……」
「やーねぇ、あなた涙でぼろぼろじゃないですか」
「そういうおまえだってェ」
「ゔ、えぇう……」
「あーっ千代子あなたまで……ううっ」
「千代子ーっ」
……、…………、………………。
「……すみません、ヤガさん、そういうわけですので、うちの子のこと、どうぞよろしくお願いします」
「ああ、こちらこそ、よろしくお願いします。」
そんなこんなで、ほぼわたしは寝ているだけで高専行きがすんなり決まってしまった。ヤガさん、両親とわたしは今後の流れを話し、内容がある程度まとまったので、今日のところはひとまず、ヤガさんは帰られるそうだ。ヤガさん……途中会話から置いてけぼりみたいにして放置してしまって申し訳なかった。
お見送りが済んで、やっと思い出した。
わたし、とっても、お腹が空いています。
「おかあさ、おかあさ〜ぁん、わたしおなかがぺこぺこです~」
「ああー、言ってたわねそういえば、すぐ用意するねー」
「わたしも用意するー」
「それはお父さんがやるから、千代子はいいこに座って待ってなさい」
「え、めずらし……はーい」
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