その、前置きとして、これは食事時には適さない話題だよってお伝えしておくね。
───────……オッケー、続けて。
うん。
……15年も前になるかな、わたしが9歳のときのことなんだけど。
わたしの父はどこにでもいるような普通のサラリーマンだったから土日は家にいて、母も専業主婦で基本ずっと家にいる。そんなよくある家庭にわたしは生まれ育ったんだ。
相違点を挙げるとしたら……そうだなぁ。
わたしが当時通っていた小学校は土曜日も授業があってね。午前中はわたし、家にいないの。ゆとり教育ど真ん中の世代なのにちょっと珍しいよね。まあその程度の違いしかないくらい普通の家庭って考えてくれたらいいかな。
あとは、……あとは、なんだろ。ごめん、いますぐには思い浮かばないから思い出したらまた適宜補足するね。
───────うん、わかった。
ありがとう。
……それでね、初夏に差し掛かったある日のことなの。
土曜日の学校から帰ってきたわたしが「ただいまー」って言っても、父も母も返事してくれなかった。家の中がしん、と静まり返ってるの。いつもだったらチャイム鳴らしたらすぐ「おかえり」って2人とも返してくれるのに。最初はなにかサプライズでもあるのかなって思ったけど、あの人たちはサプライズでなにかをするような気質ではなかったからその選択肢はなかった。だからといって家には車があったから遠出はありえないし、たとえ近くでもどこか行くときはいつも玄関に書き置きをしていってくれる。
だけどそれも、ない。
変だなと思って、両親を呼びながら家中の部屋を探し始めたの。
───────……。
すぐ、見つかったけどね。
リビングで。
……真っ赤なの。何もかも。鉄の匂いがすごかったな。
部屋は真っ赤どころか、もはや黒ずんでしまっている箇所もあったくらいだった。血飛沫の痕、いまでも脳裏に焼き付いてる。家具も床も壁も何もかも、血をペンキに見立てて塗りたくったみたいになってて。……あ、壁に血で文字を書いてあったかもしれない。なんて書いてあったかはちゃんと覚えてなくて……忘れちゃったけど。
とにかく居間はね、2人の血ですっかり染まっちゃってた。
つまるところお父さんも、お母さんも、強引に意思が奪われてしまって、どっちも意識がなくて。何もかもズタズタにされて、尊厳ごといのちも全部誰かになくされちゃった。
2人ともね、目がないの。もうあの慈愛の目でわたしを映してくれることは永遠にない。
母の髪、大切に手入れしてたからとっても綺麗で長かったのに無惨に無遠慮にザンギリにされちゃった。
父の大きくて優しくてあったかくてなんでも作れちゃう器用な手が、手首から先、両手ともないの。
ふたりとも、ただの肉袋になっちゃった。
昨日まであんなに笑って一緒にいたのに。
───────…………。
それで、わたしはわけが分からないまま、そこにいたの。
ただ、だんだん冷たくかたくなっていく父と母の遺体に縋りついて泣いていたんだって。泣き叫ぶわたしの声を聞きつけた近所の人が通報してくれたらしいんだけど、その辺りの記憶はあんまりないんだ。あまりのショックに気を失っちゃったらしくて。
……次にある記憶は少し飛んで、視界に入ったのは病室の天井だった。
点滴されてベッドの上にいることがわかったよ。
気づいたらわたしは10歳になってたんだって、味気ないカレンダーの数字が教えてくれたのを覚えてる。
誕生日、数ヶ月昏睡してる間に過ぎちゃったみたいでね、気づいたら秋なんてとっくに通り越して冬だったの。
最後の誕生日プレゼントは、両親の血に塗れたテディベアだったよ。事件の証拠品として押収されてしまって、原型を辛うじてとどめたボロボロのが退院するときに返された。落としきれなかったんだろうね、血の跡がほんのり残ってたなあ。
誕生日プレゼントは他にないよ。
そのテディベアひとつきり。
生きてたら、親戚からもお祝いされてたんだろうけど。
仲良かったから。
……親戚はね、両手両足でも足りないほど居たけれど、どういう訳かみんなあの事件の日を境に続々と蒸発しちゃったんだって。おじさんもおばさんも、当主様も従兄弟も姪も甥もみんなみんな、行方不明で今も見つかってないよ。
だからわたしにもう血を分けた家族はないの。
あの日までのわたしがいっとう大好きだった人たち、みんないなくなっちゃった。
だからもしわたしに今後大切な人ができたとして、大事にできるのはこれから先“ともだち”だけなんだろうなあって漠然とそのとき思ったよ。だってわたしと同じ血が流れている人たちは悉くみんな消えてしまったんだもの。
───────……自分と血が繋がらないからこそ、“ともだち”を大切にしていたい、ってことか?
そういうことになるかなあ。
たぶん、血が繋がってるとわたしを置いていってしまうんだって、未だ大人になりきれないわたしが心のどこかで恐れてる。別離は血縁関係なんて関係なく訪れるって頭では分かってるし、成人式だって4年前とっくに済ませてるのにね。
───────…………、……………………。
大人になるってそういうことだけじゃないのもわかってるけど。
なんかさあ、人生って難しいよねぇ。
△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽
「当時なかなかにセンセーショナルな事件だったこともあって、実名報道なんてものも食らってしまったから大変だったなあ」
やー、あのとき周囲の人が助けてくれなかったら多分どうしようもなくなってたよ。いろんな意味で人生詰んでたかも。
あっはは、と乾いた女の笑い声が居酒屋の個室に響く。いつもとそう変わりないテンションで血塗られた過去が明かされたものだから、萩原は衝撃と落差でほとんど黙っているしかできなかった。“ひどい言い方したお詫びに話してほしい”とは言ったがまさかここまで凄絶な過去が出てくるとは思わなかったのだ。
笑っているのは千代子だけ。
(重……)
この席に松田を呼んでいて正解だったなと萩原は思う。
自分一人だったら受け止めきれなかったかもしれない。
いつものお礼で奢ると言って呼び出した先でコレなのは、流石に申し訳なく思ったけれど。
「蕚、って苗字はね、事件の際お世話になった元お巡りさんのものなの。養子縁組で、わたしを血塗られ見世物にされてしまった『真理江家』から一時でも遠ざけてくれた……───────あ、真理江っていうのはわたしの旧姓だよ。あの人はね、今は前線から離れているけれどまた違う側面から誰かを守りたすける仕事をしてる」
そんな経緯もあって、今わたしは警察官やってるんだよ。いつかのわたしが守られたみたいに、だれかのこころを、生命を守れる自分でありたいと思って。
「わたしの話は以上です。長々としてたのに聞いてくれてありがとう」
……ほら、手が止まってるよ?
じゃんじゃん好きなだけお酒飲んじゃって!
こっちの料理も美味しいんだよ〜!
千代子が必要以上に陽気に振る舞う様子を見て、それが空元気だと人並み外れた洞察力の持ち主である萩原がわからないわけなかった。
(15年余りが経っても未だ引き摺っていることなんだ、当たり前だけど……そりゃそうだ、まだ幼い時分に両親を失ったさまをまざまざと見せつけられたんだもんな……)
こうして居酒屋を選んだのは、美味い飯と旨い酒を萩原や松田にご馳走する目的ももちろんあったと思う。チョイスが絶妙に自分たちとマッチしている。
けれどきっと何よりも、千代子本人が腹の底に堆積し続ける感情を酒で無理やり希釈したかったのではないか?
だって現にほら、千代子はカパカパと焼酎だのウイスキーだのワインだのと瓶を空け続けていて、彼女の周りには空き瓶が所狭しと置かれている。
…………。
「いやいやいや千代子ちゃんめっちゃハイペースで呑むね?????」
「こいつ割と呑むぞ。ザル超えてワク」
「じんぺーちゃん???」
「……蕚は俺たち並に食うし呑む。下手すると俺たちよりも食うんじゃねえか? 学食でも見たことあったろ」
「あったけどさあ、大喰らいだからってまさか酒までこんなにガブガブ飲むとは思わないだろ……」
「これで明日明後日全くケロリとしてんだから詐欺みてーな女だぞ」
「本気で言ってる???????」
二日酔いどころか、いっそ身体を壊しそうな酒量に見えるのにか。血を全て酒に置換するつもりか?
萩原は訝しんだ。
△ ▼ △ ▼ △ ▼ △ ▼
余談。
翌日の署内、喫煙所へ繋がる廊下にて。
「萩原くんおはよー! 今日もいい天気だね!」
「まじかよ」
「? どしたの」
「あっいや、ううん何でもないよ、おはよう」
「??? うん!」
(まじでケロリとしてる……肝臓どうなってんだ……!?)
コメント