昨日は楽しかったなあ、と千代子は振り返る。
友人のひとりが「高層マンションに引越ししたからさ、記念にパーティーやろうかなって!」千代子も来るでしょ、と誘ってくれたのがあまりにもうれしくて、いつもより酒が進んでしまった。目に見えたどんちゃん騒ぎこそしなかったけれど心の中はずっとお祭り状態だったし、おそらくそれが拍車をかけて自分はかなり深く酔っていたのだろうと推測する。家族友人その他身内が大好きだから仕方ないね。そうだね。
そして昨夜摂取した酒精のせいか本日は朝までぐっすりで───────朝通り越してもうすぐ昼になりそうなんだけれども。ほれ見ろ、ガラス窓から差し込んでくる日差しはもう昼だと告げている。今やアルコールはしっかりすっきりさっぱり分解されて、酔いははるか遠くの事象だ。
「でもまだ寝てたい……」
昨夜最後の記憶からカウントしてみればゆうに12時間以上睡眠をとっていることになるだろうが、寝すぎて逆に眠い。
どうせ今日は有給休暇もらってるし、もうひとねむり……と千代子は二度寝の誘惑に負け、目を閉じようとした。
そのとき玄関の扉の先から、焦ったような呼び声が聞こえた。
呼ばれているのは家主である友人の名だ。
しかし友人は今、昨日の深酒のせいで起きる気配すらない。ほかの面子も幸せそうな寝顔で絶賛爆睡中。
みんなかわいいかわいいね。
仕方ないので、千代子は寝ぼけ眼で代理として応対に向かった。
ガチャリ。
重い扉を押し開いた先には、重装備の警察官。
「はい……? どしたんですか」
「今このマンションには爆弾が仕掛けられていまして、早く避難を───────」
「ばくだん?」
爆弾とな。
そりゃつまりドカンと一発されなんぞしたら友人の買いたてホヤホヤ・マイホームが早々に事故物件にされるってことだよな?
そうだな。
千代子は途端、覚醒した。
眠気も酔いも霧散して、爆弾なんぞを設置していった犯人への殺意の波動に満ち溢れた。
だが、とにかく今は避難することが先決だ。
一言「すみません」と断って部屋へ引き返し、秒で友人を優しく叩き起こして避難を促す。寝起きが悪い子らが集結してなくてほんとによかった。
寝起きの友人がのそのそと避難行動を始めたのを確認、自らも追随しようと思って(方向確認をするべく)設置されているであろう爆弾の方を見やったときのことだった。
「あ、」
瞬間、時が止まった。
処理が終わったとは到底思えない状況(なにせ「避難してください」と言われたばかりだ)なのに、悠長にもその爆弾の目の前で煙草を吸っている男がいた。その男を最近見かけたことがあるし、なんなら顔見知りの知人くらいの仲だ。名前だってバッチリ覚えている。
千代子の爪先は、避難経路と反対方向を差す。
「───────……萩原くん?」
萩原、研二。
警察学校時代の同期だ。
教場は違えど、何度も授業で顔を合わせたことだってある。
まさかこんな状況下で再会するなんて世間って狭いんだな、と千代子は現実逃避気味に場違いなことを思った。
「あれ?! 千代子ちゃん何でここに」
「それはこっちのセリフだよ……ねえ、こんなところで萩原くんは何してるの?」
「何って爆弾処理……」
「そうだよねえ、今爆弾処理を対応してるんだよね? じゃあその手で煙がもくもくしてる煙草はなあに?」
千代子の口調こそ普段と変わらずのんびりしたものだったが、思わず・しかし必然的に掛けた声は固くなった。周囲にいる萩原以外の爆発物処理班の人間が「お、知り合いか?」「一般人じゃなくて?」「あの顔……確か萩原の同期の子じゃなかったか」「ああ、例の新設部署の?」とひそひそと口にするのも要因だったかもしれない。
「あっ、これは、」
───────ダメだ、と瞬間的に千代子は悟った。
まさにたった今(双方にとって最悪なことに)、6秒カウントすれば鎮められる程度の怒りじゃなくなった。自己分析はできても、最適なはずの解決策を即座に選び取れない。
せめて言葉に詰まらず返答してくれたら良かったのにと責任転嫁する自分の思考もいやだ。ああ、もう。こんなことで当たり散らすなんて真似したくなかったのに。
「……」
今は言い訳なんて絶対に聞きたくなかったし、自分が冷静じゃない以上千代子は萩原に説教なんてできっこなかった。そもそも説教たれるような仲でもないし。けれど当たらないでもいられなかった。
彼の性格から推測するに、おそらく爆発までの猶予があると思って「じゃあ少しくらい(気が緩んでも)問題ないだろう」とタカをくくっていたんだろう。そんな軽装備で、もしも至近距離で爆破なんてされたら肉片だけ残して死ぬしかないのに。
何かあったらうっかり死ぬかもしれないのに楽観的すぎるのが気に食わなかったのだ。
そしてもうひとつ、許せないのは。
「ねえ、萩原くん」
呼びかけながら、萩原が手に持っていた(まだまだ吸えそうな)煙草を強制的に回収して、その手で握り潰した。
「千、千代子ちゃ───────」
「ヒュッ」と息を呑む声や「て、手が、」と動揺する声が聞こえたが、気にも留めない。どうせ火傷なんかしないのだから。
「昨日ね、わたしは久しぶりに友人と楽しく酒盛りをしたんだよ」
「は、ェ?」
「『新居決まっておめでと〜』ってパーティーだったの。この高層マンションの、友人の部屋で」
それをさあ、爆弾魔の野郎がさ、爆弾なんぞ設置していきやがってよ? 爆破なんぞされてみろよ、友人の部屋木っ端微塵、欠片しか遺らないんだわ。住み始めて1週間もしてないで、ローン組まず一括で即決だった住処も、運び込んだ家財も、これからここで積み重ねられていくはずだった生活も思い出も、なにもかも失わなきゃいけない理由がどこにあるの? ねえ、そんなものあるってンなら言ってみせてよ!!!
「……おめでとうって酒盛りして『は〜楽しかったァ』で終われると思ったらまさか寝起きに玄関の扉ドンドンされて爆弾がありまして爆発しそうです避難してください、で自分も避難しようと思ってたら友人の新居ぶっ壊れるかもしれない瀬戸際だってのにそんな軽装備でさも美味そうにタバコ一服されてるときのわたしの気持ちわかる??????」
千代子がマシンガンのごとく捲し立てて発した言葉は私情盛り盛りで、(前述の通り)説教にもならないほどの怒気を纏っていた。怒髪天を衝くと言い換えてもいい。物理的に火炎、もはや灼熱に匹敵するほどのそれを放ちそうな勢い、とも。
「……あのさあ!! 爆弾なんて危険物と一対一(サシ)でやり合ってんだから気ィ抜いてないで命懸けろよ!!! 現場(ここ)で命懸けないでどこで懸けるっていうの……半端な覚悟で挑むならいっそ、」
死になよ。
その語調は先程までの勢いを失って絶対零度を伴う静けさだった。
同時に、宵闇の中でギラつく日本刀の鋒のような殺気と眼光が萩原諸共、ここにいる爆発物処理班全員を穿った。本当に刺されたかのような錯覚さえ覚えていた。
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