それでもあきらめられないこと

 

 

 

「ああぁあぁあああぁああぁああぁあぁあぁああぁぁああぁあぁあ!!!!!!」

 

それは悲鳴というよりもはや慟哭だった。
酷く悲痛なその嘆き。
震えよろけ、しかし懸命に歩みを進める。
その先には人魚姫しか見据えていない。

勇者​アバンたちのことなど目もくれず、眉目秀麗なその男はオトギリ姫の元へともつれ込むようにして辿りついた。

怪物の姿をあらわにした人魚姫に近寄らんとする新参者のその様や雰囲気が異様に感じられて、その場にいた人間は誰も動くことが出来なかった。相手は丸腰で、威圧なんてしていないはずなのに、気迫に空気が押されたように感じたのだ。

 

 

「オトギリ姫……!!!」

そんな人間たちなど気にした様子もなく、死にゆく姫君を、千代子は血に塗れるのさえ厭わず抱き抱えた。あんなに溌剌としていたのに、今の彼女は頼りなく今にも消えそうな燈のよう。

「まだ、海に落ちて死にかけたわたしを優しく介抱してくれた恩に報いていない! どうか、どうかまだ死なないで……」
「チヨコ、そなた……」
私のこんな姿、醜いから見てくれるな。

か細く人魚姫が願った。
間髪入れず、頷く。

正直なところ、千代子はこのとき涙のせいもあってやや視界がぼやけていて、オトギリ姫のことがハッキリとは見えていなかった。ただ気配を追ってここまでたどり着いたのである。それでも大恩ある姫君の要望とあらば、と頷いて見せたのだった。

「……うん。あなたが見るなと言うなら、目をつぶっておく。でも、どうあってもオトギリ姫は美しいよ​───────今この瞬間も。それだけは忘れないで」

オトギリ姫は涙を流しつつ目を閉じ、傷の深さから気絶、そのまま死に向かうだけのはず……だった。

そう、“だった”のである。

 

 

「…………?!!」

涙をボロボロ零しながら千代子が祈り、唱えたのは「ザオリク」、完全蘇生呪文だった。

その呪文を聞いた勇者と魔法使いがギョッとする。特に勇者の驚きようは顕著だ。

蘇生呪文ザオラルでも使用者が限られるのに、ザオリクだなんてそんな高度な呪文をどこで、と思ったのだろう。

なお、他のメンバーや攫われた人間たちはややキョトンとしている。そのような呪文を聞いたことがなかったためである。そして呪文とともに溢れる光の奔流を目にした途端、その表情すら崩れて唖然とした。

本調子ではないその身体で、人間よりも遥かに強大な力を持つ魔物をザオリクで癒すにはあまりにも勝手が違うために、通常より多くの魔力を必要とした。

そのせいか千代子の体内では魔力が急速・急激に巡り、滞っていた魔力状態が一変。すると千代子の身体にも変化があった。強く光り輝いたと思えばもとの身体へと戻ったのだ。なおかつ、体調もほとんどもと通り。

どうやら魔力の増幅期と重なっていたがための不調が男体化に繋がったらしい。なんだそりゃ、と千代子は思わなくもなかったが、今はそんなことどうでもいい。オトギリ姫の負った傷が快癒したことに満足気に頷いていた。

村の人間たちはもう言葉もなかった。
いませっかく勇者たちが倒した強敵を、知らない人間が突然にどこからともなく現れて治療してしまったのだ。そして男かと思っていたら女になった。2度見どころではない現象が目の前で起こっている。

(少なくとも)敵対していたであろう魔物を癒したのであればそんな反応になるのも仕方ないだろうなと分かっている千代子は、まだ話がわかりそうなアバンたち(というかアバン)に語りかけた。

このオトギリ姫に残忍で非情で差別的なところがあるのは確かだけれど、不意の事故により海で溺れ死ぬしか無かったはずの自分を助けてくれたのも他ならぬオトギリ姫なのだと。(まだ本調子ではないにしろ)回復するまでの面倒を見てくれたのも、この海底からの美しい眺めを教えてくれたのも。

あとさっきまで自分が男だったのは、理由は不明だが呪いにかかっていたからで、オトギリ姫のせいではないのだと。

と、そこでオトギリ姫が目を覚ます。

「どうして、私は……?」
「オトギリ姫!」
「そなた、チヨコ……か?」
「うん。……実は女だったんだけど、図らずも騙すようなことになってしまって……」

ごめんね、と謝るも「そんなこと瑣末だ」と返され、ふたりは微笑み合う。

「なんならそなたが女性であったことなどとうに知っておったわ」
「え?!」

曰く。
呪いとやらは調子が戻るのと同時進行で解除されつつあったらしく、寝ている間に元の姿に一瞬戻ったりしている。そのため、オトギリ姫は看病中に千代子が女の姿をしていたのも目撃していたのだと。

「は、早く言ってよそれ……」
「ホホ、それじゃあつまらんだろう」
「も〜〜〜」

さっきまで勇者一行と命をかけた戦いを繰り広げていた魔物とぽっと出の素性さえよく分からない人間が、どういう訳か仲睦まじく会話をしているのでその場の人々は何も言えなかった。

「……アバン?」
「はい、なんですかマトリフ」
「どうしたんだお前」

しかしただひとり、勇者アバンだけは様子が違った。

 

 

「いえ、……あの呪文をどこで習得したのかと」
「……」
「ハハ……」
「アバンよ、今はそれで騙されてやるが、次ァねえからな」
「…………はい」

 

 

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