それを愛と気付かぬまま籠絡 11

結局、1週間分の座学ノートは、午前中いっぱいかけても半分程度しか進まなかった。複数科目あったからな……。それに、写すだけじゃなくて、書きながら内容を飲み込んで納得しようとする癖が発動したためだ。いや、まあでも、一般的な高校に比べたらそれはもう格段に科目数が少ないのだから、半分も進めば御の字と考えてもいいだろう。うん。そうだよきっとそう。

半分しか進まなかった言い訳には、途中悟くんがかわいらしいちょっかいをかけてきたので、こちらもちょっとだけ構ってしまったせい、というのもある。横からそっと、ほっぺをぷにってしに来たり、「千代子」って呼ぶから悟くんのほうを向いたら「……へへ、呼んだだけ」って言われるんだよ? かわいすぎんか? え? かわいいんだよ。もうね、真顔で言っちゃう。はー、本当に素直でかわいい。わたしと一緒にいるときの悟くんは基本そんな調子だから、世の中の高校生のイメージとは全く違うなあ、なんていつも思う。ちょっと……いや結構な具合で幼いかもしれないな? そんな精神が幼いかも疑惑が絶賛浮上中の悟くんだが、夏油くんや硝子ちゃんといるときは男子高校生らしい一面も見せるのでちょっと安心する。年相応の成長を……している……? (夢の中で、一時的にとはいえ)成長を見守っていた身としてはしみじみと感慨深いな……。

――あれ? ……じゃあ、じゃあ、対わたしの対応に関するあれそれは? 単純に、甘えてくれている、と解釈していいものなんだろうか? あれれ????

気を少しよそへ向けていると、ガララ、と音を立てて教室の扉が開いた。

「あ、夏油くん、硝子ちゃん、おかえり!」
「ただいまー」「うん、ただいま」

ノートをぱたむ、と閉じて席を立ち、ふたりへと近寄ろうとする。ついで、といえば聞こえが悪いが、なんとなくちょっとだけ不機嫌そうな気配を纏った悟くんの手をとって立ち上がらせてみた。特に抵抗なく、悟くんはついてきてくれた。

「……あれ? ふたりともお酒のにおい……?」
「ウワッまじだ、お前ら飲んできたろ」
「ちょっとだけだよ、ちょっとだけ」
「未成年で……飲酒……? 無法地帯……? 覇者もいないのに世紀末……? 末法……」
「……無法地帯なのはまあ遠からず合ってんだけど、世紀末はちょっと違くね?」
「まあ硝子にいたってはタバコもやってるからね」
「自分のことサラッと棚に上げるんじゃねーぞ傑」
「そうだそうだ〜」
「……硝子ちゃんが一番ビンゴに近いのでは?」

あと薬物ヤクやったらスリーアウトチェンジじゃないですか。チェンジなんかじゃ済まないだろうけど。ふたりがまさか、こんなことをしているだなんて知らなかった……。そ、それらに手を出すほど心の余裕が、ない……? あっ、悟くんが「そんなことはねーからな」って顔してる……。顔見るだけでわかってしまうの? そんなにバレバレ? 
 
というか、高校生で昼呑みしてるのすごいな。逆に感心したわ。

「あ、の、……怪我とか、辛い思いとか、してない?」
「? してないよ、大丈夫」
「ヘーキヘーキ」
「そうそ、こいつらヤワじゃないから大丈夫だよ、タバコとか酒はやるけど」
「えぇ……? うーん、大丈夫なら、いいんだけど……無理はしないでね」

夏油くんも硝子ちゃんも、悟くんも、なんのなんのへっちゃらって顔だ。みんな若くしてすごい呪術師と聞いてはいるけど、何かが瓦解して駄目になるときっていつ来るかわからないものだから、勝手に心配してしまう。……だって心配性なんだもの。

「あ、俺はタバコも酒もしないよ!」
「健康的だね悟くん」
「悟の場合、下戸なだけだろ」
「あとタバコはむせるのがヤなんだよね?」
「それ今言う必要なかったろ?!!!」

オメーらいつもからかってきやがって! 悟くんはいいこ、で終わる話じゃん?!!!

悟くんがニヨニヨ顔の夏油くんと硝子ちゃんに向かってギャン、と吠えた。わんわんお?

「おかーさんただいまあ!」「ただいまあ! たのしかったあ!」

そんなところへ、おばけちゃんたちがやたら興奮した様子で戻ってきた。ぷわぷわ浮いて、こころなしか移動速度も少し上がっているようだ。そんなに楽しかったんだなあ、学校探検。うんうん、元気があってよろしい。

「おー、おかえりー」
「ねえねえ、がっこーって面白いね!」
「ろーか、長ぁい!」
「校庭も広ぉい!」
「本がいっぱいの部屋とかあった!」
「よかったねえ、……そうだねえ、本がいっぱいの部屋は図書室かな?」

おばけちゃんたちはすすす、と近寄ってきて、わたしの手のひらに頭をくっつけた。撫でてほしいらしい。いいこいいこ、もちもちマシュマロ感触……。きゃあきゃあ言いながら、撫でられてはしゃぐおばけちゃんたち、親バカながらかわいいの極み。

「……千代子、それなに?」
「あっ、ふたりにはまだ紹介してなかったね?! わたしが創った!」
「おかーさんにつくられた!」
「た!」
「これは……呪骸?」
「はじめまして、ぼく、おばけちゃんです! 呪骸ではない!」
「ぼくもおばけちゃんです! よろしくね!」

そのまま、おばけちゃん誕生の経緯を含めて説明すると、夏油くんと硝子ちゃん、二人揃って爆笑した。なんで? ……あっ、酔っ払ってるからか!? お酒がはいるとだいたいのひとは気分が高揚して、そうなるもんね、そうだね!?

夏油くん曰く、1週間気絶したのち深夜テンションで頭おかしくなるのは10,000歩譲ってまあ仕方ないとして、勢いのみでまともに習ったり行使したこともない術式を発動して謎の生命体を創りあげたうえ、ひと仕事終えた満足感と眠気からおやすみ3秒をキメたのはヤバい、とのことである。この“ヤバい”とは果たしていい意味なのか? 笑っているからまあいい意味なんだろう。夏油くんはヒイヒイ言いながらこれらの旨を述べたので、内容より呼吸の心配をしてしまった。腹筋攣らない?

硝子ちゃんはといえば、同じく深夜テンションのくだりで本人も想定外にツボに入ったらしく、おばけちゃんをもちもち触りながら、呼吸するので精一杯のようだ。当社比1.85倍くらいヒイヒイ言ってるんだけど、ところでこっちも腹筋は大丈夫なの? ほんとにもう、笑い上戸すぎて心配。あとシレッとおばけちゃん確保してるのかわいい。一方、もちもちされながら、おばけちゃんは「あぁ〜〜」って言いつつ面白がっている。マッサージチェアで遊ぶ子どもかな?

どちらにせよ、夏油くんも硝子ちゃんも飲酒の影響で大脳新皮質がやられているのかわからないけど気分が高揚して普段よりツボが浅くなっているか、ツボの当たり判定がちょっと……いやだいぶガバガバになっているのかもしれない。

わたしの中で(だいたいお酒のせいで)圧倒的ゲラの疑いがかかっているふたり(の腹筋)が満を持して落ち着いた頃、わたしたちはグラウンドへと移動した。主に、組み手の練習をするのとおばけちゃんの性能を実際に確かめるためだ。あと走り込み。わたし一応昨日目が覚めたばかりなので、急に負荷のかかるような運動はしないほうがよいだろうとの保険医の先生のお見立てで、走り込みはしばらく少なめに、と決められている。そりゃそうだよ、妥当な判断ですわ。

「準備はいいかー!」
「いいともー!」
「ともともー!」
「じゃあレッツゴー!」
「「おー!」」
「そういうわけで準備万端なので、御三方お願いします」

タイミングはおまかせするね、と言うが早いか、硝子ちゃんが放ったシャーペンと、時間差で悟くんが投げた消しゴム、それから夏油くんの長い脚による容赦ない蹴り(!)が飛んでくる。ほんとに容赦ないな、物理攻撃のオンパレードだ。

ぽいん、ぽよん、ぽーん!

「わー! びっくりしたぁ! 夏油くんてば積極的ぃ!」

密かに呪力を纏わせたシャーペンは弾かれ、ただの消しゴムはおばけちゃんをすり抜けた。一方、夏油くんの蹴りはおばけちゃんに接触したであろう途端に呪力を纏ったため、おばけちゃんをすり抜ける途中で互いに反発するように弾かれた。

「……褒められているのかな?」
「褒め言葉だよお! それより、弾いちゃったけど、体勢崩したときに変な捻り方とかしなかった?」
「いや……、…………うん捻ったかも」
「えぇ、大丈夫なのお?!!!」
「あ、ごめんごめん勘違い、大丈夫だよ、ほら」

「……そぅお? ほんとに大丈夫なのね? でもぼくも、急に弾いてびっくりさせちゃったかもしれないからごめんね!」なんて言いながら、夏油くんの周りをプカプカ浮いている。特段、蹴られたことを気にしていないようだ。仲直りの印に握手しよお〜〜とまで言い出したが、待ってくれおばけちゃん、これ喧嘩じゃないよ、訓練とか検査とか実験とかのほうが正しいよ。いや、蹴られた当事者が喧嘩だと思えば喧嘩……なのか? ううん……どうなんだろう。夏油くんはにこにこしながらシェイクハンドしている。おばけちゃんのおててが短すぎて、なんだかぬいぐるみ振り回す大きい子どもみたいにも見える、気がする。

「原則、物理は透過して、呪力は弾くんだな」
「そう、そうなの! あのね、あのね、ちゃんと『むむん!』って力を込めるとね、物理攻撃も弾くことができるの!」
「むむん」
「そう! むむん! おなかに力を込めるんだよ! たんでん! でんでん! しょーこちゃん、……あっ、しょーこちゃんってよんでもいい?」
「いーけど」
「やったー! しょーこちゃん!」
「ん?」
「えへ、呼んだだけ〜!」
「……」
「きゃあ〜〜なでらりた! ぼくはうれしい!」

もう片方のおばけちゃんはにこにこしながら硝子ちゃんにつかまっている。一方の硝子ちゃんは、無言かつ真顔でおばけちゃんを撫でくりまわしているので、よっぽど触り心地が気に入ったらしい。ふふん、いいでしょ、おばけちゃんはもちもちふわふわのふにふになのだ! もうこれで硝子ちゃんもおばけちゃんの虜だね!

「千代子」
「なぁに硝子ちゃん」
「こいつ、持ち帰っていい?」
「わ〜、ふにふにされてる〜」
「そんなに気に入ったの? うーん……お泊りならいいけど、期限はいつまで?」
「一生」
「だめだよ?!!!!」
「ちぇ〜」

想定していたより虜になってた!!!!!!!

おばけちゃん、まだ生まれて(ほんとに!)ほんの少ししか経っておりませんのでね?!!!!! 仕込みとか育成とかやりたいことその他たくさんたくさん、あるんですよ! だからね、まだ親元離すのはちょっと早いんじゃないかな〜〜!? つまり、まだだめです!!!

「ところで悟くん、さっきから静かだなと思っていたらわたしの背後をちゃっかりとらないでおくれ、まだ背後霊になるには早すぎるでしょ。」
「え〜〜?」
「はぐらかさないの」

後ろからおなかの前に手を回さないで、首筋に頭を擦りつけないでおくれ……あのね、擽ったいんだよ……。あとほんとに距離感バグってない?

「……くふくふ笑ってるの、分かってるんだからね!」

他のふたりがおばけちゃんともちもちふわふわしてるから、今ならからかわれないと踏んだんでしょ、きっとそうなんでしょ。

始終そんなぐだぐだな感じだった。組み手の時間になると多少ぐだぐだは解消され、悟くんが宙を舞ったり、夏油くんが宙を舞ったり、硝子ちゃんがタバコふかしたりしていた。硝子ちゃん、ブレないね。

この日おばけちゃんについて判明したのは「ただの物理攻撃は任意で透過するかしないを選べるため効かないこと、呪力を感知すると弾くこと」だ。また、おばけちゃん自体には攻撃性がなく、その方面の能力も乏しい。つまり、のんびり屋さんなうえ、たとえペチンと叩いたところで音がするだけで痛くないのだ。ぺちん。

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