それを愛と気付かぬまま籠絡 07

ひとしきり悟くんを撫でて、ふと疑問に思った。

「ところで今何時……、あれ? 5時? 1時間くらい寝てたってこと?」
「……ちげーよ、千代子」

今ね、お前が図書室で気ィ失ってから1週間経ってるから。

「……マジ?」
「マジ。」
「ずいぶんお寝坊さんしちゃった」
「だから急にゆるい発言ブッこまないで」
「えー、ごめんてー」
「……ゆるす」
「やったー」
「全く仕方ねー千代子だな」

しばらく悟くんと話していると、ドアをコンコンと叩く音がしたので返事をしようと思ったが、その前に保険医の先生が入室して、流れるように体調をみてくれた。なんて滑らかな登場だ。突然入ってきてこれなので、悟くんともども思わず流されてしまった。

先生によると不調は特に見当たらないとのお見立てだった。もう夕方であるし今日のところは様子見ということで、明日からまた登校することになった。ところで、保険医の先生にお世話になったのに、特にそれといった印象が残っていないんだけれど……、ふんわりした会話しか覚えていない。なにか術でもお使いなのだろうか? 悟くんによると、「術式使ってるのはそう。なんかそういうとこある、保険医」とのことだったが、秘密主義者かなんか? まじで男女どっちだったかも覚えてない……。あとそんな人物雇ってて大丈夫なのか、高専?

とりあえずそれは置いておくとして、報連相は大事だ。わたしは「ねぼすけしててごめんね(意訳)」メールを硝子ちゃんと夏油くんに送信することにした。……ポチッとな。

ピロロンッ。

体感、秒で返事が返ってきた。早い。あっ、これは硝子ちゃんからだ。

 《おはようねぼすけさん》

ねぼすけさん! 硝子ちゃんが「ねぼすけさん」呼ばわりした!
ただのねぼすけ、じゃなくて「さん」がついてる!
わ、わ〜〜! かわいい……かわいいなあ……! 

これはお顔が緩んじゃうなあ、と思っていると再び悟くんがうにゃうにゃとひっついてくる。本当に悟くんは甘えん坊さんだなあ、反抗期とか思春期はどこに落としてきたんだろう? 心の成長、大丈夫ですか?

ピロロンッ。

あっ、今度は夏油くんからのメールだ。ふたりとも返信はやいんだなあ……!

 《メールありがとう。無事で何よりだ。》

律儀〜! そして簡潔! わかりやすい返信〜!
夏油くんのメールはいつもそうだ。
いつも、とは言うけど、そんなに頻繁にはやり取りしてないけどね。

でもふたりして「また明日」とは言わなかったな、うーん、やっぱり職業柄かな? 夜蛾先生が呪術師はいつ死ぬかわからないものだって言ってたから、そういうことなのかな。ただ、こんなにすぐ返信がくるってことは、返信する余裕があるということだ。うんうん。

……あれ? なんかわたし忘れている気がする……、いや悟くんとの夢の中でのやり取りとか今までの前世がどうとかじゃなくて、もっと直近の……学業とかその方面の……。課題か? 小テストか? それとも、それとも?

えー、でももう少しで思い出せそうなのに絶妙に思い出せない……。
えぇ……気持ち悪いなあ……、ほんとになんだっけ……。

おっと、夜蛾先生にもメールを送っておかないとだ、危ない危ない、忘れるところだった。

……ポチッとな。

「よし、一応ご報告メールは送ったから……悟くん、ちょっと退いておくれ、身支度してごはん食べたいから、食堂いこ」
「……ぅ、はーい」

のっそりと悟くんがどいたので荷物をまとめて、寮へと向かう。寮には自炊するだけの設備もある……というか、そもそも食堂があるので調理場を借りるつもりだ。今の時間なら、普段の夕食とそう変わりない時刻だし、食堂でごはんを提供してくれている寮母さんもいるかもしれない。使ってもいい食材などを聞いておくほうが後腐れないだろう。

「……すみませーん」
「あらッ、千代子ちゃん! ここ一週間くらい見てなかったからどうしたのかと思って心配してたのよォ!」
「ごめんなさい、ちょっとねぼすけがすぎちゃって……えへ」
「もぉ〜〜! でも今は大丈夫そう……ね?」
「ええ、とっても元気です! あ、そうそう、ごはんを食べたいんですが、使ってもいい食材とか食べてもいいおかずとかあります?」
「それならこっちきてちょーだい!」
「はーい、……悟くんはまだごはん食べ……てないよね、さっきから一緒にいてくれたもんね」
「ウン」
「ごはん自体は出来上がってるみたいだから、あとで運ぶの手伝ってくれる?」
「……やる」
「よし、じゃあいこう」

寮母さんとは言ったが、正確には彼女は人間でも呪霊とやらでもなく、幽霊でもない。術式、なんだそうだ。概念として一番近いのは呪骸だが、厳密には呪骸とも少し違う、なんというか、呪術的なルンバみたいな、お助けロボみたいな概念、らしい。らしい、というのはまた聞きしたためである。呪骸でよくない?

それにしてもこんな人間味のある対応ができる術式、すごいなあ。

「あ、きたきた、ここらへんのはすきに使って平気だよ! ……でもほんとに大丈夫? わたしお粥つくろうか?」
「なるほど、……いや大丈夫です、まだ寮母さんだってやることあるでしょ、それにお粥くらいなら自分でも作れますし」
「そぅお?」
「ええ」
「じゃあ……、悪いけど任せようかしら。……それでね、今日の献立は、これから焼く生姜焼きと、もう大皿に盛り付けてある千切りキャベツと、お味噌汁とごはん、なんだけど……千代子ちゃん病み上がり一発目できついかもしれないからね……お腹と身体と、相談して食べてね」
「はぁい」

ふむ、今日は豚の生姜焼き……お腹はペコペコなんだけれど、実際断食していたのも同然の人間にこれはきついかもしれないな……。だって1週間何もまともに口から食べてないもんな……。

ああ愛しの生姜焼き……しょうがの効いた醤油ベースの、おいしい甘辛タレが絡んだ豚肉が、柔らかくて噛むたびに旨味を放出するジューシーな豚肉が、食べられないなんて……。焼いたあとのタレがキャベツに絡んで、生姜焼きの熱でしなしなしたのもおいしいし、それをごはんにタレごと絡めて食すのも最高においしいのに……! 

どうしてわたしは1週間も眠ってしまっていたんだ……っ! いや“大元の”原因はわかってるし、仕方なかったんだけどさあ……っ、このタイミングはひどいや!

うぐぐ、こんなに美味しそうなのに食べられないだなんて、悔しい……っ。

しかし、実感がないとはいえ1週間何も食べていない身体に普段の食事は無理があるのだ。……ここはゆるめのお粥でもつくって、いただくことにするか。炊きたてのおいしいごはんをお粥に変貌させるのはちょっと気が引けるけど、浸漬させる手間が惜しい。わたしはいまお腹がペコペコなんだよ!

ぐうう、お腹も唸ってる……。

寮母さんが生姜焼きを焼きはじめた横で、(くっそお! はよお粥つくったろ!)と意気込んで、お粥をコトコト煮ること十数分。うん、まあこれくらいのゆるさなら重湯とそう変わりないし、いいだろう。

「……お、千代子」
「あ、しょーこちゃん! 1週間ぶりー、これからごはん?」
「そーだよ」
「じゃあ一緒に食べられるね! まってて、いま運ぶからね!」

できたお粥を器へよそっていると声がしたので、調理場からカウンターを覗くと硝子ちゃんが見えた。今日は寮にいたから、夕食のためやってきたらしい。遅れて夏油くんも現れた。

「やー、夏油くん、今日は豚の生姜焼きだってさー!」
「道理でおいしそうなにおいがすると思ったわけだ」
「ね、ね! ……わたしは食べられないけど」
「代わりにおいしくいただくことにするよ」
「うう……、そうしてあげて」

きっと食べざかりの男子がふたりもいるから、生姜焼き、残らないだろな……。めっちゃ食べるし。いっそ大食い選手権でも出たらいいのに、なんて思ったことも数回ある。

わたしもわたしで食い意地が張っているのでどこまでも引きずってしまう。よくない、よくないとはわかっているのだけど、ここの寮母さんが作る料理はどれも絶品なのだ。せっかくのチャンスを現在進行形で十数回もふいにしているのが本当に悔やまれる。

「千代子ー、」
「はぁい、どうしたの悟くんや〜、って、あ、一気にお味噌汁が入ったお椀を持ったら危ないよ、一つずつ持っておいき」
「えー、大丈夫なのに」
「……!」「おや」
「んむ? どうしたのふたりとも、変な顔してる」

砂吐き顔ではないけど、なんだか不思議な表情だ。なんだろう、と疑問に思いながら配膳の手伝いにまわる。

「いや……君たち、というか千代子、君もっと悟に遠慮していたというか……変わったね?」
「え? あ、あー、なるほどそういうことか、……うん、昔よく逢っていた子と悟くんが同一人物だって判明したからね、それのせいかな」
「ふ〜ん」
「あれ、まだ変な顔してる」
「……そりゃ、悟ってばここ一週間ちょっと荒れてて誰かしらの手伝いなんてひとっつもしなかったからね、……まァもともと手伝いとかする性格じゃないというのもあるか」
「硝子ちゃん、そうなの?」
「そーだよ」
「アッ、くっそなんでここでバラすんだよ!!!!!!」
「わー、こらこら、悟くん、配膳中に怒らないの、中身飛び散っちゃうかもしれないでしょ、びぃくーる、びぃくーる」
「千代子も『落ち着け』くらい日本語で言えよな!!!! しかも発音がゆるい!!!」

ヒーーッ、と硝子ちゃんが引き笑いをはじめ、夏油くんもゲホゴホ言い出した。

……あらら?

「え……ごめん、なさい……?」
「怒ってないけど?!!!!! あぁも〜〜〜!!!!!!!!」

さ、悟くん、その剣幕で怒ってないはちと無理がないかね?
本気で怒っているんじゃないんだろうけど、怒っているように見えるよ……?

わたしの疑問をよそに、悟くんは結局プリプリしたまま配膳を危なげなく終えた。そしてそのままいつも座っている席へと、ドスンッ、と着席した。もうちょっと椅子に優しくしてあげて。

硝子ちゃんも夏油くんも、依然ヒイコラ……いやヒイゲホ? まぁなんかツボに入った様子は変わりなく、大人し……、いや大人しくはないな、なんか言ってるもんな。……とりあえずふたりも流れで着席した。

コメント