とある女の独白2
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「ひどくあっけなかったな……」と前の方でチヨコが小さく呟くのが聞こえた。脱獄のそれも途中とはいえ、「あっけなかった」と形容するなんて、肝が座っている。……座りすぎている。
(いっそ、末恐ろしいわ……)
もうお分かりかもしれないが結論から言うと、“チヨコは兵士たちを戦闘不能にし続け、ついに最後のひとりも地に伏せることとなった”。はじめに会敵した者どもより数段練度の高いはずの近衛兵でさえ、彼女はそのへんの細い木の枝を折るかのようにあっさりと伸してしまったのだった。
(腐敗した王国の近衛兵とはいえ、それなりに鍛えられているはずだというのに……それなのに、チヨコは一撃で倒してしまったわ……?!)
つまるところ、もうこの国の王のまわりには王妃と、それから“わたしたち”しかいない。
と言っても、“わたしたち”はチヨコの後ろを必死に着いていっただけで、それ以外は本当に何もしていない……というより、何もせずに済んだ、と言えばいいのか、なにかしようとする前に全てが終わっていたと言えばいいのか……? なんと表現したらいいのやら。
まぁとにかく、「わたしが全部相手する」という言葉どおり、『チヨコが一晩もかからずにすべてやってくれました』。そういうことで間違いない。
「ごきげんよう、──王さまと、王妃さま?」
そうして、チヨコによる場違いに軽やかな挨拶が謁見の間に響いた。
けれどそれに対する返事が、“これ”。
「ひいぃいいぃぃいぃ?!」
────王による、なんとも無様な悲鳴があがったのだった。一方の王妃はあまりのことに声も出ないらしい。
玉座にあるなら、せめてもっと威厳ある振る舞いをすればいいものを。あまりにも小物臭くて、わたしなどは思わず顔を顰めてしまった。
「“素敵な住まい”をありがとうございました……、おかげさまでこの通りです」
チヨコが一歩、王へ近づく。
「ひっ……! 何なのだ……、お前、は……!?」
何しにきたのだ、と王が取り乱して、後ずさりしようとして失敗する。玉座に座っているのだからもう退きようがない。
「何って……わたしはね、こらへんに意識もなく倒れていた人間です。それを、ご親切に地下牢に置いてくださったんでしょう? ──ですから、“感謝”と“ご挨拶”に」
チヨコがまた一歩近づく。
「ぁく、来るな、っ……来るなァッ!!!」
チヨコが一歩、また一歩と近づいていくたびに身を震わせ、王は悲鳴混じりに吠えた。
「ふふ、そんなに怯えなくてもいいのに。わたしは、あなたがたの命を奪ったりはしませんよ?」
それを意に介さず、チヨコは世間話をしているかのように軽く笑った。しかし柔らかなのは本人の雰囲気だけだと言わんばかりに王は顔を強張らせ、身を固くしている。
「──ただ、そうですね、挨拶がてらアドバイスというか……? そろそろ王さま、悪趣味な『おあそび』は卒業なさったほうがよろしいですね。そもそもそんな『おあそび』はするものじゃないですし、『おあそび』と呼べるようなものじゃないのですけど」
「ぅ、う、うぅ……」
「──王妃さまにもありましてよ?」
ヒュッ、と王妃が息を呑む音がやけに大きく聞こえた。いきなり会話の矢面に立たされて驚いたらしい。
しかし、やはりと言えばいいのかその様子さえ気に留めず、チヨコは言葉を紡いだ。
「……最悪慰み者にされるような事態を回避させてくれたことについては、王妃さまに感謝しております。本当にありがとうございました。
が、しかし……配偶者たる王の『おあそび』そのものを止めようとしないのは……、ね?」
王妃はチヨコへ言葉に返すべく口を開こうとする仕草を見せたが、喉奥までたどり着いている言葉たちは音にならない。音になろうとする言葉たちが喉につかえているのか、片手をそのあたりに持ってきて無意識に、不安そうに、しきりに擦っている。
「──『おあそび』の延長線だか何だか存じ上げませんけど、悪ーい人とつるんで人身売買にまで手を染めているそうじゃないですか、この国。このままだと数年としないうちに国そのものが滅亡するでしょうから、早急に対応なさったほうがよろしくてよ?」
そのまま王妃は視線を、無言のまま身を震わせ玉座にある己の配偶者とチヨコ、両者の間を行き来するように何度も動かした。一方の王はその視線に全く気付かないようだ。隣にある間柄からの視線であっても気づかないくらい焦っていて、心に余裕がないのだろう。
「一番手っ取り早いのは、おふたりが退位なさる、とかですかね。わたしとしてはそれが一番のおすすめですわ。……まぁそれを決めるのはこの国の方々であってわたしじゃないのですけど」
チヨコは一度こちらを振り向いて、ニコリと笑って頷くと、また王と王妃に向き合った。
「では、ヨソモノのわたしはこのへんでお暇させていただきますね。あとはこの国の皆さんで頑張ってくださいな」
(……ここまで、“わたしたち”の誰も、声を掛けられなかった、上げることさえできなかった……強制されたわけでもなければ、王たちのように萎縮したわけでもないのに……)
じゃ、と軽く手など振ってクルリと方向転換、颯爽とチヨコが退室しようとして──、
「あ……、すみません最後にひとつだけおねがいがあるんですけど……城門、開けてくださる?」
と、はにかみながら至極申し訳なさそうに言った。
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