「っは、ズビ…………ズッ、………………すみません、お見苦しいところを……ッく、」
「ぴかぴー……」
ひとしきり泣いて、日和はやっと話せるようになってきた。日和の肩に乗ったピカチュウは、仕方ないなあと言う顔をしながら日和のことをなでてやる。
「いや、気にしないでくれ。……安心して泣いてしまうことだってあるだろう」
その様子を興味深そうな眼差しで見つめながらフレンが笑った。そういえば、フレンはピカチュウを物珍しいとも何も言ってこないなあ、と日和は思う。あんまり大泣きしたせいか反動で頭が痛くなってきた中でそんなことを思いつつ、撫でてくれるピカチュウの腹に頬擦りする。相変わらずふわふわの毛だ。でもここ数日まともにブラッシングできていないから後でしてあげよう、と日和は心に決めた。
頃合いを見計らって、フレンは床に座り込んでいた日和を立ち上がらせ、ベッドに座らせてくれた。ありがとうございます、と日和が言うと、どういたしまして、とフレンは微笑む。
「さて、快復した君とは、はじめましてかな」
「ぴか、ぴかちゅう!」
「あの、この子、ピカチュウっていうんです。わたしはそう呼んでます」
ピカチュウ、と名前を口に含んでから、フレンはピカチュウに向かい合って挨拶した。ピカチュウも挨拶を返して、前脚を「ぴ!」とフレンのほうへと差しだす。一拍おいて、フレンはその意図を理解した。ピカチュウの目線よりやや下にくるように片膝をつくと、右手でピカチュウと握手した。ピカチュウはうれしそうにその手をとって、ふんふんと振る。
その様子を間近で見ていた日和はなんだか嬉しくなって、無意識に笑顔になっていた。あんまりうれしいものだからくふくふと笑ったらフレンもピカチュウも、同じキョトンとした顔で日和のほうを向いた。そして、さっきまで大泣きしていた日和のうれしそうな顔を見て破顔した。
「──じゃあフレンさんは早ければ今日中に街を発つということですか?」
「うん。次の目的地にもそろそろ向かわないと」
「そうですよね……巡礼してるっておっしゃってましたもんね」
ここ数日いろんなことを教えてもらって、刷り込みでもされたかのようにフレンに懐いていた日和はちょっと寂しさを覚えた。けれど、フレンにはやらねばならないことがある。それはフレンの人生に関わってくることで、つまりは出世如何もそれで決まってしまうのかもしれない重大事項なのだ。ならば邪魔してはいけないよな、と日和にもわかった。フレンをちゃんと見送って、日和も自分の今やるべきことをせねば、と気を引き締めた。
「そのことなんだけど」
「?」
「その、君さえよければ──」
「きゃあああああああ!!!!!!」
「魔物が入ってきたぞ?!!!!!!!」
「?!!!」
フレンが何かを言いかけたその瞬間、外で大きな悲鳴があがった。ぱっとピカチュウの手を離し、フレンは体勢を整え外へと向かおうとする。駆け寄った先のドアノブに手をかけたところで日和たちを振り返って「君たちはここにいてくれ!」と言うと速やかに去ってしまった。部屋に静寂が居座る。
「ここにいてくれって言われても、この街に戦える人ってどのくらいいるんだろう……武装しているひとをあんまり見かけなかったけど……」
日和はまだ数日しかこの街に滞在していないし宿屋からあまり出歩かなかったが、フレンに聞いた情報や見聞きしたことを加味しても、普段結界に守られているこの街にはおよそ戦力と呼べるような立派なものはなかったと思う。少なくとも、フレンのような、騎士さまは見かけなかった。
「ぴーか……」
「でもわたしたちだって魔物とは戦ったことないし、そもそも戦うのはわたしじゃなくてピカチュウたちだし……」
「ぴっか!」
「……ピカチュウ?」
そこで日和はピカチュウが身振り手振りで何かを訴えかけているのに気付いた。……もしかして、自分が戦うんだよ、任せて、とでも言っているのだろうか?
「ぇで、でも……」
「ぴぃーかび! ぴっか!」
でも、ピカチュウは病み上がりだよね、と日和が続けようとすると、ピカチュウがニャースたちの入っているモンスターボールのスイッチを押した。ポォンッと軽快な音を立てて、ニャースとドードリオが現れる。
「ギャギャーン!」
「『でも』じゃないにゃ! やるか、やらにゃいか! それだけにゃ! ピカチュウだって、“走り屋”だってそう言ってるにゃ!」
「ギャーゥ!」
「ドードリオ……ニャース……」
“先”のことを心配するより現状を心配しろというニャースの言葉に、日和はハッとさせられた。
「にゃーたちには、戦う力がある! ヒヨリは、この街のひとたちに、少しでも親切にしてもらったにゃ!? にゃーたちは、ずっとボールの中からみてたから知ってる! 親切にしてもらったぶんの、恩返しをする、それだけのことにゃ!」
しかし実のところ、ニャースが日和を焚き付けたのは、日和(だけでなく、手持ちたるピカチュウやニャース、ドードリオたちも含めて)がこの街ではまだ「ソヨモノ」だったからだ。もっと言うなれば、ピカチュウなどはここで言うところの「魔物」とそう遜色ないイキモノだったろう。ニャースは賢いから、その程度のことは聞き耳を立てて理解できた。街の人たちが心優しい善良な性質の持ち主だったとはいえ、例えばそれが上辺だけのものだったとき、日和が「自分を守るためのカード、切り札」としての“なにか”を持っていなければ「いの一番に切り捨てられたり見捨てられたりするに違いない」とニャースは思っていた。そうなれば、日和は頼るもの一切を失い(そもそも今も、フレンにかろうじて頼れている綱渡り状態で、いつそれがなくなるかわかったものではないが)、最悪死んでしまうかもしれない。
ニャースには、まもりたい約束がある。
かつてニャースのトレーナーだった孫娘を失い、唯一の家族だった爺さんとの約束だ。爺さんは、「なるべく遅く、遠回りをして、たくさん楽しかったことや面白かったことを蓄えてから、またいつか自分たちのところに来て、その話をしてくれ」と言った。「もちろんそんな約束、一方的なものだから、破ってくれたっていい、ただの老いぼれのお願いだよ」とも言った。ニャースは家族や帰る場所の一切をグレン島の噴火を終幕として失った。ニャースだってそのとき、いっそ自分も死んでしまいたかった、置いていかれたくなかった、本当は今だって、いつ死んでもいいと思っている。
だけど、だけど、たったひとつの、家族の最期の願いだったから。
大事な、孫娘を失ってからはほんとうにただひとりの家族だった、そんな爺さんからのお願いだったから、それだけはどうしてもまもってあげたくて、だからこんなところで日和に倒れられては困るのだ。そのときもう今生で頼れるもの、とふと思い浮かべて最後の最後にたった一人、惰性すらも込みで日和だけを選んでから、「ニャースが少しでも長く生き延びるため」という名目でしかないが日和をまもってやる術を考えると決めていたから。
「ぴーっか!!!」
「ほらっ、ピカチュウだって言ってるにゃ! 理由がどうとかごちゃごちゃ言ってないで、どうするにゃ!? にゃーたちは、戦える!!!! ヒヨリは、にゃーたちのポケモントレーナーにゃ! 街のひとたち、助けるか、助けないか、どっちにゃ?!!!」
「そ、そんなの……」
日和は一瞬口籠った。が、答えはもう決まっていた。
「そんなの、助けに行くに決まってる!!!!」
一度ニャースたちをボールへ戻し、ピカチュウを連れて宿屋の外へと駆ける。途中、お世話になっている宿の主人の「お客さん?!」と呼び止める声が聞こえたような気もしたが、急いでいたから日和はろくに反応できなかった。ただ、獣の声のする方へがむしゃらに、ピカチュウを連れて駆けていくと、ハルルの木にたどり着いた。フレンや、数人、逃げ遅れたのかひとがいる。戦力が少ないのは確かだった。フレンだって相当の力量を持ち合わせているだろうに、いかんせん数が多くて捌ききれていない。
「ピカチュウ、おねがい!」
「ぴっか!」
ピカチュウの意向を汲んでピカチュウを戦闘に向かわせ、日和はニャースをボールから出して己の背後にいてもらうことにした。
日和たちは野生のポケモンの群れとならば何回か遭遇したことがある。多数の攻撃が怒涛の勢いで、たまに予想だにしないところから襲ってくることだってあった。ここは多少遠距離にも技を放てるピカチュウへの指示を出しつつ、なるべく死角からの急襲に備えたい。その点、ニャースは機転がきき小回りもきくし、「まもる」を覚えている。ドードリオを出すのもアリではあったが、攻撃からの回避策も兼ね騎乗して彼らのスピードに耐えつつ指示を出すのは少し大変だ。下手すると指示を出している間に酔ってしまう可能性もある。彼らには普段の移動手段としての役割を期待しているので、ここは温存したい。
戦略を立てているところで、日和は、ピカチュウの進行方向にいるひとに今にも襲いかかりそうな魔物に気付いた。ピカチュウも先に気付いていたらしい。
「あぶないっ! ピカチュウ、アイアンテール!」
「ぴ!」
街のひとに魔物の攻撃が及びそうだったのを、アイアンテールで防いだ。
「?! あ、ありがとう……!」
「ぴっか!」
「………………」
緊急時にも関わらず、ピカチュウに感謝を述べるあたり、上辺だけのものではなさそうだなとニャースは頭の片隅で思いつつ、日和の背後から周囲の様子を警戒する。今はまだ日和を狙う魔物とやらはいないらしい。ニャースは無言で少し遠くにいる魔物にスピードスターをお見舞いしてやった。
「ヒヨリ、君……!」
「フレンさん、ごめんなさい! お説教は後でちゃんと聞きますから! でも街がピンチなのに黙っていられなかったんです! ……っ、ピカチュウ、人と木に当たらないよう10万ボルト!」
「ぴぃ〜〜か、ちゅ〜〜!!!!!!!」
ピカチュウの小さな体躯から、強烈な閃光が、電撃が、雷鳴が走る!
日和のやや無茶な「人と木に当たらないように」という指示に対して、ピカチュウは持ち前のコントロールの良さで実行しきった。
日和を除くそこにいた人たちが唖然とするなか、魔物たちは感電したのかよろよろとしている。だいぶ体力を削ることができたのか、今にも崩れ落ちそうだ。真っ先に我に返ったフレンが残った魔物をすべて片付け、その場は鎮圧することができた。
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