幕間その1、あるいは萩原研二の回顧

 

 

畢竟萩原は、親友の拳を、涙を、怒号を、甘んじて受け止めた。そうさせるに至るまでの十分な理由があるのだ、避けるわけにいくまい。

けれどやはり、格闘技の心得がある拳を喰らうとそれなりにダメージを受けるものだ。まったく本当にいい拳持ってやがる、と萩原はその辺の壁にもたれかかって苦笑した。

「っはは、やっぱ痛ェ」

暫く辛いモン、食えねえなあ……。
独り言が小さく響いた。

 

 

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先の事件から数時間後、萩原は腫れた頬に大きな湿布を貼りつけて喫煙所に赴いていた。紫煙を肺いっぱいに吸い込んで、萩原は静かに千代子の言葉を思い返す。

「爆弾なんて危険物と一対一サシでやり合ってんだから気ィ抜いてないで命懸けろよ!!! 現場ココで命懸けないでどこで懸けるっていうの……」

激情を伴って紡がれたその主張は真実正しいと、冷静な今なら萩原も理解する。生き残ったからこそ、納得だってできる。

「……」

今まで本当に自分が慢心していなかったかと問われれば慢心は、していた。
在学中にスカウトを受け、卒業早々にして爆発物処理班への配属。順風満帆だった。そこで松田と二人で「Wエース」なんて呼称で賞賛されて、鼻高々だったことは否定しない。オレたちに解体できない爆弾なんてひとつだってないと、どこか根拠のない自信だってあった。
一言でいえば、天狗になっていた。
それは確かな事実だった。

暑苦しくて身動きの取りづらい(即ち指だって動かしづらい)防護服なんか全く以て着ていられなかったし、着なくたって自分にかかれば爆弾を解体バラすくらいなんてことなかった。そして何度だって大丈夫だと証明してきた、つもりだった。けれど今まで“想像しうる最悪のパターン”を事前に熟考してこなかったのがどれだけ危なかったことかをまさに今日、思い知らされた。つもりは結局“つもり”でしかなかったし、今回は運良くも間一髪助かっただけだ、と。反省が必要なのを骨身にしみるほど理解した。

しかし彼女の台詞が、(どうにも、奇妙なくらいに)引っかかってしまうのだ。あのとき「半端な覚悟で挑むならいっそ死になよ」だなんて随分と酷ェ言い草だなと思ったし、正直なところ今もムカつく気持ちが消えない(自分の性格上珍しいとも思うが)。死になよとまで普通言うか? ……恐らく勢いで飛び出てしまった本音なのだろうな。あの案外直情的な彼女のことだ、その可能性も否めない。

自分のことながらいつまで引きずってるんだよとも思ったが、それが嘘偽りない萩原の本心だった。けれど、それだけじゃない。

​───────何よりも気がかりだったのは、表情だ。
あのときの怒りの奥にある感情の一朶には、悲しみや絶望、失望……言葉では表しきれない何かを感じた。苦しげな表情に、胸が締め付けられるような心地がしたことも。

(あのときの千代子ちゃんは、なんだか普段とどこか違ったようにも見えたんだよな……)

彼女の親愛なる友人宅があわや大惨事の危機だったことも(自分がその、調子に乗っていたことも)確かに彼女が感情的になる要因には違いない。それは断言出来る。
千代子が“ともだち大好き人間”であることを彼女の学友伝いに知っていたからだ。それこそ自分の命を懸けてでも、何よりも“ともだち”を大切にするひとだと。

「友人ってだけであんなに大事にされるもんだから、家族だったら尚更なんじゃないかって思ったこともあるよ」

あの子から家族の話を聞いたことあんまりないんだけどね。不思議なんだけど、聞いてみてもいつもはぐらかされちゃうんだ、と彼女の学友から聞いたのはいつだっただろう。

(​───────……もしかしたらあの表情の訳にこそ、答えが隠されているんじゃないか?)

萩原は煙を多分に含んだ吐息をふぅーっと長く吐きだした。

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