千代子がオトギリ姫に拾われてしばらくしたある日のことだった。
部屋の外が騒がしいような気がして、千代子は目を覚ます。
なにか揉めているような気配だ。
「……?」
すぐそばに居た魔物に尋ねると、なんと「オトギリ姫が人間を捕らえた」のだという。
人間を?
漁業をしているところでオトギリ姫側と何かいざこざがあったのだろうか。
先日見せてもらった地図によれば、この湾のほど近くに漁村があったような。
捕らえられた人間って十中八九そこの出身だろうな。わざわざ遠方からひっ捕らえてくることもあるまいし。
なんだか嫌な予感がして、仔細を聞くために千代子はまだだるい身体に鞭打ってオトギリ姫がいる方へと歩んでいった。
「───────ほう、“そのような些事”を聞きに来たのか」
(些事?)
人間を捕らえたのが、些事だって?
まさか。
人間と魔物、両者の関係には大きく溝がある今このご時世でそんなことをしたら、最悪の場合オトギリ姫が討ち滅ぼす対象に挙がるだけだ。
わざわざ諍いの種を撒く必要がどこにあるのだろう。
しかしなるほど、オトギリ姫は腕に自信がある。
とても強く、人語を解し発するほど知能が高い魔物だ。
自らに人間風情が挑んできたところで、返り討ちにするくらいわけないと、そう考えているのだろう。
一方で千代子は、人間一人ひとりはオトギリ姫よりひ弱であったとしても、人間たちが力を合わせたならオトギリ姫を倒すことは不可能ではないだろうと推察する。
(この世界にあるかどうかは知らないが)窮鼠猫を噛むという諺があるように、相手が弱いからと侮ってはならないのだ。
慢心は致命的な隙を生む。
その一瞬の隙が生死すら左右するのだから。
風の噂では最近、勇者が現代に現れたという。
万が一、勇者がここへ辿り着いて、何らかの行き違い(いや、最早“真っ黒”と言えるかもしれない)でオトギリ姫と対立したなら、どちらかが斃れるまで戦うことになるのだろう。
自分がまだ本調子ではないのに、そんな中で両者を止めることなど……。
(しかし多少の無理をすればいける……か?)
いやいや、戦いが長引けばその場で昏倒するだろうなあ。
───────千代子が。
「あヤツら人間どもがどうなろうと私たちの知ったことではない、そうであろう? 何せ奴らは我らより下等……。
ああ、そなたも奴らと同じ種族ではあるが……頑丈さや美しさの次元が違うからな、そなたは別だぞ?」
「……オトギリ姫、」
「なんだ?」
「今すぐにでもその人間さんたち、帰してあげませんか」
「、ね?」と千代子が念を押すように解放を訴える。まだ人間を傷つけたり殺していない今だからこそ、そのまま帰してあげよう、と。
しかしオトギリ姫は首を縦には振らず、「ならぬ。あれはな、勇者を誘き出す“餌”なのだ」と嗤う。
「勇者を“わざと”呼び寄せ、これと戦い、そして私が勝つ。そうなれば必然その戦功により、覇権争いに有利になる……」
「? なにを、」
「その果てに私が頂点へと立ったなら、そなたとずっとずぅっと、ずーーーーーっと一緒に何も心配せず幸せに暮らせるであろう?」
何せこの世界の7割は海! 私が総べる、つよく猛き海!
今すでに世界の半分を手にしていると言っても過言ではないこの私が全ての頂点に立ち、誰にも阻まれずそなたと心ゆくまま過ごしたい。
「そのためならば私は、」とオトギリ姫がもういちどわらった。
……そうじゃない。
そうじゃないんだよ、と千代子はなお言い募ろうとするも、無理をおして動き頭を働かせていたせいか体力が底を尽きくずおれるようにして倒れた。床に激突する前にオトギリ姫がタイミング良く千代子の身体を受け止め、いつものように寝台へと優しく運んでいった。
運ばれているうちに、千代子は気を失うように寝てしまったようで、この時の記憶が無い。
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「のう、チヨコ。私が抱き締めても平気なくらい頑丈で美しき、我が愛しの人間よ。海で溺れていたそなたが私のもとに来た時点でもう心に決めていたのだ。そなたを我が伴侶とし、この世を私が統べるべく動くことは……」
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