「ようやっと起きたか」
意識を取り戻して初めて目に映ったのは、亜麻色に輝く美しい髪を戴いた人魚姫だった。
水を司る大精霊にも匹敵するほどの人外じみた美貌。
耳があるはずの場所にはヒレ、脚の代わりに長い尾鰭。
「……、…………?」
「そなた、私の縄張りたる海で危うく溺死するところだったのだぞ? 溺れたせいか身体が衰弱しておるようだから、暫くはそのまま寝ておるがよかろう……───────誰ぞおらぬか!」
千代子の頬や頭をその白魚のような手で撫でつけ微笑む見目麗しい人魚姫が呼びつけると、大急ぎで魔物たちが集まってきた。人魚姫があれこれと指示すると、魔物たちはまたどこかへ去っていってしまう。
尊大で傲慢な態度で振る舞い、周囲にいる水棲の魔物をしっかりと従えているその様子。
これはどう考えても“普通の”人間じゃないな、と寝起きかつ体調不良でだるくても理解できた。見目こそ水を司る大精霊のごとき美しさだが、むしろ彼女が持つ雰囲気から邪を纏う化生の類だと肌で感じられる。人間であろうとなかろうと、今の自分にとって命の恩人であることには変わりないのだけれど。
そして、彼女が使役する周囲の魔物たちの姿にどうも見覚えがあった。
(あれって確か、ガニラスとかダイオウイカって名前だったような)
「どうした? あやつらが気になるか? 無闇矢鱈にそなたを襲わせたりはせぬ、……まあ私から逃げようなどと思わなければの話だが」
少なくともダイオウイカの脚から逃げるだけの力があれば、あんな風に溺れてはいるまいな?
先程まで千代子の頭や頬を撫で回していた手が顎へとかかった。長く整えられた爪を千代子の顔の輪郭に這わせるように遊ばせて、人魚姫がうっそりと笑う。その様子に千代子は(逃げないよー)と安心させるかのようににっこりと笑みを返した。
思う反応だったのか、人魚姫は満足気に頷いて「大人しくしておるのだぞ、何かあればすぐに呼べ」と言い残し去っていった。
(……ああ、やっぱり“そういう”世界ってこと)
人魚姫が退室してから、見知った世界との共通項を察して納得の表情を浮かべる。
通りで、“更新”の副反応が軽かった訳だ。
“更新”とは、簡単にいうなら千代子が世界を渡る際に発動する現象のことだ。千代子が今までの旅路で己の血肉へと昇華させてきた異世界の技術や素質・能力を、渡った先の世界でも円滑に活用できるよう、そしてなるべく早く千代子が渡った先の世界に順応できるよう、『世界と千代子が情報交換』をする。千代子が持っている真理と、世界の真理との摺り合わせをするのである。そうすることで「世界は“こう”あるけれど、( 千代子がこの世界にある限りは)彼女の持つルールも適用する」とすることができる。長い旅を続ける間にそんな現象が起こるようになっていた。
しかしその際、千代子に与えられる情報の容量が大きいほど・その情報が未知のものであるほど処理が困難なものとなり、負荷が千代子の体調に顕著に現れる。つまり直前にいた世界と渡った先の世界との共通項が少なかったり、今まで渡ってきた世界との共通項がない場合、より深刻な体調不良として副反応が顕在化するのだ。
世界を渡った直後の諸々の弱体化はこれが由来でもある。
“更新”が齎すメリットは千代子にとっても有難かったが、デメリットたる弱体化のせいで幾度となく危ない目に遭った。一番酷いときなんかは怪しげな人体実験に巻き込まれたりなどして、危うく人類そのものを呪うところだった(そのときは間一髪助けられたので、呪うまでには至らなかったけれど)。
今回もまあ溺死しかけたという点ではもう危ない目に遭っているとも言えよう。なんなら今も副反応で思うように身体が動かせないが……比較的マシだ。
初手から溺死しかけたり魔物と遭遇したりと散々なスタートを切ったものの、どうやらあの人魚姫(※魔物)には今のところ害意はないようだし。なんならこの今宛てがわれている部屋の寝具もふかふかで心地よい。待遇だって歴代からしても破格なのでは? ……乾いた笑いが出てしまう。
何はともあれ、こうしてゆっくりベッドで過ごせるのだから、お言葉に甘えて身体を休めよう。そう思って体を横に向けるべく寝返りをうったその瞬間、千代子は違和感を覚えた。
体のサイズ感がなんか違う。
ええ何で、と思って咄嗟にベットサイドにあった鏡を手に取り己を映す。手もなんだかいつもより大きくて骨ばっている気がする。気のせいじゃないかなと現実逃避したくなった。
「……は?」
そこに映っていたのは髪の長い青年だった。カラーリングは普段の千代子とそう変わらず青みがかった黒髪に朱い目。
紋章がつくったとされる世界にて出会った、解放軍軍主の少年がもう少し成長して髪を伸ばしたらこんな感じだったかもしれない。うん顔がいいな、と場違いな感想を持ってからワンテンポ遅れてようやっと現実をはっきり認識した。
「なんでぇ……」
……千代子はなんと、男体化していた!
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