――そいつとの思い出は幼少期、本場の英国式庭園からはじまっている。
***
父の友人が主催するとかいう立食パーティーは当時まだまだ小さかった子供の俺には窮屈で、何より退屈だった。
だから誰にも内緒で俺は昼下がりのパーティー会場からこっそり抜け出した。きっと気付かれずに抜け出せたのは大人たちがパーティーに夢中だったこともあろうが、何より庭園が会場にほど近いところにあったからだろう。
「……」
道標は小ぶりの薔薇たち。
微笑むように咲き誇るそれが、奥へ奥へと訪れたものたちを誘い込んでいく。
俺は誘われるがまま会場となっている邸宅へ来てからずっと気になっていた美しい庭園へと身を潜らせた。
つまらない話を聞いているより、探検するほうが何倍も心躍る。
「……、」
木々や花々が緻密な計算によって配置されまるで芸術品のような迷路になっているのだと、行きの車で母が教えてくれたとおりだ。……幼き時分の己にとってそれはあまりに広大で、案の定迷ってしまったとかそんなことはない。ないったらない。だから自分の目元がやけに熱くて水気を感じるのも、気のせいのはずで、心もとなさを感じるのも、きっと。
「――〜〜、〜〜〜〜」
俯いていく思考を遮るかのようにふと鼓膜を揺らしたのは、まだまだ幼いソプラノの囀りだった。
声は幼いはずなのに、永きにわたる放浪を何処かで経験してきたような深さがある。
その不可思議なチグハグさに(……誰の声だろう、)と先程までの不安よりも興味が勝った。まるで、笑いながら泣いているみたいだ。
(――こんなに優しくてあたたかくてどこかひどく淋しい響きを、一体誰が奏でているんだろう?)
持っていたハンカチで顔の辺りを軽く拭い、庭に響く声だけをたよりに庭園の中央に聳える大きな木へと迷い迷い向かう。
歩調は無意識のうちに速まって、気づけば駆け出していた。
(くそ、こっちも行き止まりか!)
何度も曲がり角を間違え、何度も何度も先のない壁で待ち構える見事な花々に焦らされ、それでも正体が知りたくて堪らない。
「ハ、ッ――」
(普段運動なんてロクにしないのもあって)口の中でありもしない血の味を覚えても無我夢中で走った。
だってあと少しで“こたえ”にたどり着けるのに、こんなところで諦めたくない。
「はァ……ッ!」
息を切らし、鼓動もドクドクと忙しない。
呼吸のたび肺が痛い。脇腹が痛い。
酸欠でやや朦朧とする意識の中、ふらふらと太い幹を目指し続ける。
「ス、……ハッ……、ハァッ……」
ようやくたどり着いた木の根元で声の主を探してふと見上げると、太めの枝に腰掛けている少女がいた。
「~~~、~~~~――」
手を伸ばしても届かないくらいの高さ。
その枝の上で小鳥たちと戯れながら、弾んだ歌声を響かせている。
(……まるで気まぐれに地上に休憩しにきた天使様みたいだ)
木漏れ日の差し加減も相まって、その背に翼が生えているように見えたせいもあっただろう。光景の神聖さに気後れして、声をかけてはいけない気すらして、まだまだ歌声にだって酔いしれていたかった。
でもそれ以上に、その目に自分を映してみてほしくて。
「――おいッ」
声をかけない選択肢がどうしてか自分の中にはなかった。
気後れと躊躇いから声は勢い余って裏返りそうになり、やや震えていた。思い返すだにあのときの自分はきっと、格好もつかなくてどうしようもない餓鬼だっただろう。
「~~……ん、んん?」
畢竟、俺の声に気づいて歌は止む。
惜しいなと思った。
彼女の旋律を止めたのは自分なのに。
けれど想像していたよりもずっと、彼女の夕焼けみたいな瞳を・視線を独占できたことへの高揚感が勝ってやまなかった。
「そ、んなとこいたら危ないだろっ、降りてこいよ」
心の機微を悟られたくないがために取って付けたような心配の念を畳みかける。
実際に心配していなかったかといわれれば、心配していなくもなかったが、もっと近くで彼女を見てみたい気持ちのほうが勝った。
「? 別にわたしは平気だけど…………うん、心配してくれたんだよね、ありがとう」
「し、心配なんかしてない」
そして舌の根も乾かぬうちに心にもないことを口走ってしまう。彼女はそんな俺の心の内すら見透かしたように微笑んでいるばかりだったが。
「そかそか。まあでも上から見下ろしながら話すのもなんだから降りよっかな。ちょっとそこ空けててね〜〜」
「? ま、まさかお前、」
それぇ〜!
けがするぞ、と思わず叫んだ俺の動揺など欠片も知らぬと言わんばかりに、弾んだソプラノが再び場に響いた。
次いでバサバサと、小鳥たちが天空へと身を投げ出し羽ばたいていく音。
(目の前でまさか、飛び降りるなんて思わないだろ?!)
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