「……、」
自分は、妾の子だった。
一夜限りの愛人に貴族の男が生ませた庶子。
父親からはせめて使える駒たれと望まれた。
――使用用途は政争・清掃、人扱いですらない。血の繋がった所有物としての価値しか見出されない。つまるところ、自分じゃなくてもいい役割を与えられた。
今は亡き母親からは毅い男たれと望まれた。
――この身は女であるから叶うはずもない。女である自分は望まれてなどいなかった。前提から間違っていると嘲笑うように。
だから「質実たれ」と名付けられたのだ。ただ生みの親に都合のいいように真っ直ぐ真面目な気質であれと。どんなにそれが己にとって歪んでいるものであったとしてもひたすらに、《質実たれ》と。
はじめは、それでも己を求めてくれるならばと必死だった。必死で応えようとした。そうすれば愛を注いでもらえると盲目に信じていたから。
片手に剣を、弓を、槍を、棍を。
片手に筆を、書を、法を、学を。
吸収できるものなら何でも学んだ。
今にして思えば、学べる環境があるだけ恵まれていたように思う。
何でも出来るようになって、何でも任せられるように成長すれば父母にもきっと愛される。今はまだ発展途上だから愛されないだけだ。
御伽噺を、頑なに信じていた。
けれど信じ続けたはずの楽園はどこにもなかった。
愛は報酬にされなかったし、どんなに研鑽を重ねても賞賛の言葉さえ与えられなかった。
努力は黄金を成さなかった。
「……、……」
ひとつ上に腹違いの兄がいた。
自分などと違って、兄にはたとえ望まぬとも大瀑布のごとく愛が降り注いだ。自分が喉から手が出るほど焦がれ求めていても決して手に入らないそれを、兄はなんでもないように扱う。ひどく腹立たしかった。兄より自分の方が優れている自覚もあったので一入だった。
だから、試合でコテンパンにしてやった。
兄より優れていると示せば親も「わかって」くれるのではないかと淡い期待もあった。
しかしその結果報酬は、頬への殴打であり、腹部への蹴撃であり、言葉の刃だった。自己肯定感などとうの昔に死に絶えたので斯様な折檻はとくに堪えなかったが。
全てを要約すると、「女が出しゃばるな」だそうだ。
わたしがわたしであることを尊重しなかったくせに。
わたしの形を先に決めつけたのはお前たちだ。
女であることを諦めさせ続けたくせに。
わたしの形を先に決めつけたのはお前たちだ。
わたしの人生を浪費させたくせに。
わたしの、形を。
「……、…………」
一瞬にして何もかも、どうでもよくなってしまった。
何を頑張っても、もう家では正しく評価されることもないのだとついに理解してしまった。
どうして今まで気づかなかったんだろう。
承認欲求ばかりが肥大して、期待しては裏切られて、奴隷のように生かされていたことに。
わたしは何度期待を裏切られれば諦めがつくだろうかと常々思っていた。
今だ。
やっと今、機会が巡ってきたのだ。
未だ。
生まれてからずっと足に繋がれていた見えぬ鎖も鉄球もそのままだけれど。
そうして最後の置き土産として、再度兄をボコボコにしてから家を飛び出したのだ。
わりと直ぐに追っ手が放たれたが。
「……、………………フフ」
しかしまさか兄の報復として親が雇ったであろう追っ手に殺されかけたかと思えば、変わりものの魔族に拾われ癒され共同生活を送るようになろうとは、きっと人類の誰も考えつかなかっただろうな。数ヶ月前の自分さえ信じるまいよ。
「どうしたのエーリヒ、いいことでもあった?」
「ああ、とびきりな」
「そっか!」
それから余談だがノイエ、自分の名前はエールリッヒであってエーリヒではないんだ。物心ついてからというもの自分の名前がずっと嫌いだったが、お前が「エーリヒ」と呼ぶたびに嫌いではなくなりそうな予感がするよ。
***
殺すつもりだったのに、日に日に殺せなくなっていく。
死ぬつもりだったのに、日に日に命が惜しくなっていく。
今は、まだ死にたくないと思う。
ノイエの温もりに触れると、今までずっと泣いていた子供の自分が救われるようで。その感覚にしばらくの間は溺れていたい。
騙されていてもいい。
ノイエになら騙されてもいい。
魔族に生まれついたくせに、騙すなんてこと考えすら及ばないのだろうけれど。
ここでの生活は、自分が欲しかったものがたくさん溢れて煌めいている。
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