それを愛と気付かぬまま籠絡 14

(あら? そういえばこれ今世初戦闘では?)

現在地、変わらず廃病院。
対峙しているおぞましい怪物が繰り出す攻撃を淡々といなしながら、わたしは呑気に気付きを得ていた。

でも廃病院の片隅でケチャップ片手にかっこつけたところで、残念ながら格好はつかない。っていうか初戦闘なのに片手ケチャップ装備ってどうなの?

解説のわたしさん、どうですか?
うーん、普通にだめでは?

(ですよねえ、聖なるケチャップというわけでもなくどこにでもあるただのケチャップですからねえ)

――愛する父母の元へ生まれ育って15年余。

義務教育にまつわる程度の小規模な競争は日常茶飯事だったが、血腥い戦闘とは根本的に縁遠い人生を送ってきた。
なんたってどこにでもいるような一般人パンピーだったので。畢竟、体力だってそれなりにしかなかった。

……数ヶ月前までは。

高専図書室にて背幅の分厚い本が脳天直撃して昏倒したことを契機に前世までの記憶がよみがえり「戦闘力一般人パンピーのままでこの業界にいるの(たとえ任務が免除されているとしても)無理ィ!」と恐怖の念に頭を抱えたわたしは、高専での勉学と両立して空き時間にコツコツと筋トレをするようになった。両脇にはおばけちゃん(分裂・爆誕した個体)を配置して万全の体制。体育の授業でもみんな(と言っても同級生は3人しかいないし、それぞれ任務で不在のケースが多いのだけど)と一緒に走り込みや組手といったメニューを少しずつ取り入れて身体を慣らし、“前の自分の感覚”を取り戻そうとしているのだ。

している、という言い方で察しがつくだろうが、まだ完璧には取り戻せていない。ド正直に言えば、まともな戦闘経験もなく数ヶ月ぽっちで戻るような“感覚”なんかじゃないのだから仕方ないけども。

余談だが、事情を深く突っ込んでこないやさしい同級生ら(約2名)からはそこはかとなく生ぬるい笑顔と「なんか突然一念発起してらァ」「無理のない範囲でがんばりなよ」という激励の言葉を頂戴したのは記憶に新しい。

え? ああ、悟くん?
悟くんはね、ニコニコ笑顔で「千代子がんばれ〜〜!」っておばけちゃん(分裂・爆誕した個体)と一緒に元気にもちもち応援してくれてるよ。先日はついに団扇(すごくデコられてギラギラのやつ)振ってた。
うれしいね!

でもわたしゃアイドルじゃないんだけど、悟くんてば一体どこの何を目指してるんだろう?
あと例の約2名は悟くんのバリエーション豊富な応援のたび、その場でそれぞれ腹におばけちゃんを抱えて震えてるけど腹筋大丈夫そう?

……腹筋が瀕死なのに2人して悟くんの様子をからかうもんだから、追いかけ回されながら、おばけちゃんとわぁわぁと笑っていたっけ。

(トムジェリじみたかわいい光景だよねえ)

ビュンッ。

「おっとっと」

同級生らのほっこりさを回想していると、鋭利なものが先端についた紐状の何かがわたしの顔側面すぐ近くを横切った。

「ヂュウシャコワイヨ゛オオォオ」

わあ、触手か。あぶないあぶない。

「うんうん、注射はこわいねえ」

呪霊の攻撃だったみたいだ。

ごめんね、さっきから気もそぞろで相手して。
そろそろそっちに集中するからその代わり、各種試運転にお付き合いしてね。

***

トプリ、と帳の境界線が3度揺らいだ。

「ウケる、マジでこいつ千代子の事になると途端に猪になるな」
「最初から分かりきってただろう」
「まーね」

帳の先、廃病院のエントランスを五条がブチ破り、六眼を頼りに廊下を駆け抜けていく。
もはや猪通り越してブルドーザーを想起させる五条の姿。

ああ、瓦礫がどんどん増産されていく。

五条の後ろに追随する硝子と夏油。
自分たちが軽口を叩いても言い返してこないほど前しか見ていない五条の様子に、無意識だが口角が上がってしまう。

「本当に夢中なんだな」
「それこそ最初からそうだったろう」
「それもそうだ、そうじゃなきゃこんなにひとり突っ走っていかないか」
「まあチームプレイはいい加減学習してほしいところだけど」
「ハハ、言えてる」

アイツ基本ワンマンお坊ちゃまだもんな。

そんな五条が今回気が動転していたにもかかわらず夏油と硝子に同行を要請したのは――五条本人からすればすぐ側に彼らがいたからかもしれないが――大きな一歩、かもしれない。

千代子の無事を3人の同級生の誰もが祈っていた。
だから2人は五条の言葉に否やを唱えなかった。
そうして、同級生の1人を助けに行くことで合意した。

五条の熱量が謎に頭ひとつ飛び抜けているだけで、夏油とて、硝子とて、千代子のことはそれなりに気に入っている。故に同期が早々に棺桶行きなのは寝覚めが悪い。
下手せずとも棺桶が必要になるほどの《ナニカ》が遺るかさえ危うい業界だ、多少は気にかける。

まだ五条の勢いは止まらない。
ああまた、廃病院に瓦礫が増えていく。
もうこれ術式乱用してるだろ、と2人は苦笑した。

***

ゼェハァと荒い息が部屋の中で響く。

生命の危機(デッドオアアライブ)に呼応して回避能力あがったらいいなあとかいう軽い思いつきにより、わたしはあれからずっと呪霊の攻撃をかわし続けていた。ちなみにその間もやっぱりケチャップを片手に。インド人を右にじゃないんだぞ。

呪霊は見たところ攻撃が当たらなくてちょっとイライラしてそうだ。

(死にたくないくせに死と隣り合わせの環境にわざわざ自らの身を置くだなんて馬鹿だなあって自分でも思うけれど、この分ならなんとか切り抜けられそう)

回避のコツは相手の行動予測、タイミング、それから動体視力も要るか。
畢竟、実地訓練ってやっぱり身になる。
体を動かすって大事だ。

「んわ、」

制服スレスレのところをまたもや触手が掠めた。
今のはちょっと危なかったかも。

……流石にそろそろ疲れてきたというか、極度の空腹で(頭も身体も)動きにくくなってきたかもしれない。避け方に“雑味”が出てきてしまったのがその表れだ。そもそもお昼を準備して食べようと思っていたところを拉致られてここへ来たんだもんなあ。そりゃエネルギー不足で頭も回らなくなってくるわけだ。

(あーあ、自覚したらもっとお腹減ってきたあ……)

こういうのをぴえん、って言うんだっけ?
あ、ちょっと時代錯誤だったかこの言い方。
もうちょっと先の表現だものなあ。

「ッ!」

またしても飛来物。
即座に反応できたはいいけれど、ついに下手な避け方をしてしまったために無傷ではなくなってしまった。

――ケチャップが。

「あーーーっ?!」

ケチャップ!!!
容器が!!!!!

見事に(ケチャップの容器が)左下から斬りあげられていて、中身が残念なことに飛び出てしまっている。
勢いと向きのせいで、わたしの制服にもケチャップがかかってしまったようだ。これベッタリ着いてる。

(うわ、この付き方出血したみたいに見えるう……!)

哀れ、おいしく消費する前に散る羽目になって……。
こんな終わり方、ケチャップも望んでいなかったろうに!
こいつは美味しい美味しいオムライスになる使命があったのに!

食べ物を粗末にするのは己の信条からして許せないので、今まで散々回避だけに専念していたところを攻撃態勢に転換しようとわたしは構えを変える。

おのれケチャップの仇!!!

対して呪霊も身構えた。

「、?」

その途端、ものすごい勢いで今いる部屋へ向かっている気配を察知した。
もう20mもないくらいの距離、生体反応は……3、4?

「……、わあ!?」

もしかして、と思い至った瞬間部屋の床が抜け、わたしが手を出していないのに呪霊は消滅した。秒で。
どうやら祓われたらしい。
すごい急展開だわ、と残った床の上でわたしは地べたにペタンと座り込みながら呆気にとられている。

いまの、秒速20mくらいあったよ?!
こんな無茶苦茶なことする身近な人といえば。

「千代子!!!!」
「悟くん!!! 助けに来てくれたの?」
「当たり前でしょ!」
「ありがとおお」

そうだ、悟くんだ。
最初に助けられたときもすごかったもんね。
主に瓦礫的な意味で。

「大丈夫だった?! 怪我はっ……てそれ血?!」
「いやケチャップ」
「ケチャップ?!!!!!!」

なんでケチャップなんてこんなとこに持ってきてんの?!!!!

瓦礫伝いに部屋まで昇ってわたしの正面までやってきた悟くんが叫んだ。
わあ、大きい声。
あまりの動揺具合に「えっとね、お昼にオムライス作ろうと思って準備してたらね……」と片手に沈黙しているケチャップを軽くプラプラしながら説明。「いやまあ、うん……想像ついたけどそうじゃねえんだよな……いや無事でよかったんだけど」とブツブツ呟いている悟くんの手を握りながら救援に感謝していると「おーい、」と階下から呼ぶ声。

「や」
「わたしらもいるよ〜」
「夏油くん! 硝子ちゃん!」
「無事〜?」
「怪我ひとつないよお! 制服は汚しちゃったけど!」

同級生3人勢揃いでお迎えに来てくれたんだ!
なんて贅沢な思いをさせてもらってるんだろ!
わたしは空腹のことを忘れるほど歓喜に満ち溢れた。

「……と、その人」

夏油くんの使役する呪霊の口にはあのいけ好かない術師の男が。どうやら気絶しているみたいで、そこかしこボロボロだ。ちょっとざまぁとか思っちゃう。

それにしても一体何が、と思っていたのが顔に出ていたらしい。硝子ちゃんと夏油くんが解説してくれる。

「あぁコイツ? ここ来るまでに爆走機関車してた五条クズが轢いたよ」
「ええ……?」
「高専の呪術師だったから行きがけに一応拾っておいたんだ」

重要参考人として必要になるかもしれないし、と夏油くんが微笑をよこした。流石3人の中で1番参謀感のある抜け目のないひとだ。頼もしい。

「ところで千代子、その手に持ってるのは?」
「ケチャップの遺骸」
「うん?」

かくかくしかじかうまうまこれこれ、と経緯を説明すると階下の2人は抱腹絶倒。
……あれれ? そんなに面白事象でも怒ってたの?

よくわかんないけど、楽しそうでなによりですワ。

このあと血糊じみたケチャップを全て拭って、みんなで高専まで安全に帰還した。
昼ごはんを食いっぱぐれていたので、帰りがけにスーパーで爆買いもした。

美味しいもの沢山買えたので、今日はプラマイプラスということで楽しい一日だったこととしよう。

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